淡海宇宙誌 VIII 生物多様性の桶
生物多様性が話題でした。
ただこのたびは、他のさまざまな生き物から得られる僕ら人間にとっての利益や、人間同士の間でのその分配のことで持ちきり。それでその重要性とか保全とか言っていた。
それはまあ、そういうものかと思います。他の生き物だって、むしろかれらこそ、じぶんのまわりの生き物なかまを実にたくみに利用する。
ただ最近の人間は、他の生き物を利用するやりかたが、乱暴過ぎるのではないか。
琵琶湖の北端にふなずしの有名な老舗があります。酒蔵ならぬふなずし蔵があり、その蔵をある日見学したのです。
蔵の中にはふなずしの漬かった桶がところ狭しと並んでいます。桶はそれぞれ重石を載せられ、なにやらブツブツいっている。ブツブツいうのは桶の中身が醗酵しているのであって、この現象を「沸く」とも言って、その勢いで、時には重石をごろりとはねのけてしまう。
見上げると、桶の置かれた上一面だけ天井が赤茶けていて、これは蔵に居ついた菌だとのこと。この蔵つきの菌がとても大事で、例えば蔵の建て替えは、前半分、後ろ半分と時期をずらして工事をやって、古い方から菌が引越しするのをゆっくり待ったというから驚きました。
「ふなずしは、人間の都合だけでできるものではなくて、自然の力、蔵にいる菌やその他の生き物の助けを借りてできるもの。私たちは、菌なら菌の固有の時間に寄り添いながら、桶のお守りをしているのだ」とあるじは教えてくれました。
強引に相手をこちらに引きずり込むのではなくて、桶ひとつにも、生き物同士のつきあいの作法が行き届いています。