ソラミミ堂

淡海宇宙誌 VII「できた!」をつくる

このエントリーをはてなブックマークに追加 2010年11月9日更新

 友人のM君は少年時代から野鳥の研究をしてきた人です。その彼が、野鳥の観察を通じて、不思議に思うことがありました。
 鳥が巣をつくる。小さな枝をくちばしにくわえてきては、じつにたくみに、彼は小枝を組み上げていく。そうして、ついにその巣が出来上がる。
 巣が「出来上がる」。それが不思議、とM君は思ったのだそうです。
 鳥はいったい、なにを決め手にみずからの巣が「出来上がった」と判断したのか。「よし、できた!」と感じる瞬間が、彼ら鳥にもあるのだろうか。
 ただじっと見ているだけでは、目の前の鳥が運んでくるどの枝が、「できた!」の決め手の枝になるのか、そこの加減が分からなかった、ということでした。
 その彼が鳥たちの「できた!」の気持ちに触れたのは、後年大工の修業を積んで、家一軒を自分で建てる力がついてからでした。
 同じ不思議は人間同士の間にもある。画家が絵を描く。かたわらでそれを見ている。筆を動かし、色を重ねる。今度はどこへ何色が運ばれるかと思っていると「よし、できた!」。そうした筆の駆け引きが素人目には分からない。裏を返せば「できた!」を決めるその一筆にこそ画家がいる。
 「できた!」の感じはどんな感じと問い詰めたって、それは頭で理解し言葉で説明できる類のことではなくて、鳥も画家も「できた!」がわかるからだになっているのだろうと思います。
 マニュアルに沿って得られる(というよりも、あらかじめマニュアル作者に奪われている)「できた!」とは違うカタチのものなのでしょう。
 自分で選び、自分で決める「できた!」を誰もがつくること。
 それが大事な時代であると思います。 

スポンサーリンク
関連キーワード