淡海宇宙誌 VI 背中で生きる
「背中で仕事する」。それがもともとの、山の人生でした。
たとえば炭焼き。おとこなら十八貫、おんなでも十五貫の炭俵を背負って山道を歩きます。
今から六、七十年もまえ、まだ自動車は無い。木の車輪に鉄の輪を巻いた大八車を、皆は「ガチ車」と呼びましたが、それの使える道までは、何時間でも歩いていかねばなりません。
ちょっと休憩するにしても、どっこらしょ、と腰を下ろしてしまっては、立ち上がるのに難儀するので、背中の炭俵に杖を一本あてがって、人は立ったままやすむのです。その杖を「息杖」と呼びます。
重い炭俵。その重みに押されて、荷を、自分がこんでいるのか、荷にはこばれているのか、わからないような山道。
赤ん坊だって、背板(せた)に結わえられて、炭焼小屋まで運ばれて行く。帰りは一俵の炭俵の上に一緒に「荷造られて」帰るのでした。
その赤ん坊が病気になる。医者へ連れて行かねばなりません。
そこで家のタンスの引き出しを抜いて、中の着物を出してしまって、代わりに赤ん坊をそこへ寝かせる。それを荷造って、背負って峠を越えて行くのです。
荷造ってのぼり、また荷造ってくだる。
そしたことが、親から子、子から孫へ、何十年、何百年も続いてきたのでしょう。
上がるからには何かを持背負って上がらなくてはならないのであり、下りるからには何かを背負って下りなければならない。
平坦ではない山道だからこそ、背中を空にするのは罪、というほどの気持ちが、人々の心には、沁みついていったのでした。
「背中で生きる」。
それがもともとの、山の人の生きかたでした。