ソラミミ堂

淡海宇宙誌 II めぐみの値打ちの根っこ

このエントリーをはてなブックマークに追加 2010年6月2日更新

 僕ら人間には、さまざまな、かけがえのないめぐみがあたえられている。自然のめぐみ、歴史のめぐみ、そして人のめぐみ。僕らはそれらめぐみをめぐりあわせて文化をつくる。
 人間のそのいとなみをささえるめぐみのなかのめぐみが僕らにはあたえられていて、それは想像力というめぐみです。
 想像力というのはめぐみをまさしくめぐみとして認める力です。それは身のまわりにあるさまざまなものごとの価値に気づき、価値を掴み出し、あるいはさまざまなものごとの上に新しい価値を創造する力です。
 人間にこの想像力がなければ、せっかくのめぐみもそれと知られず埋もれたままになる。
 ただ、想像力はものごとの価値に気づく力だといっても、それはものごとが自分にとって都合よく役に立つか立たないかに気づくということではありません。

 S村の春祭りでは大きなお神輿のお渡りがあるのですが、若者が減り、そのかつぎ手がいなくなって困っていました。そこで近在の大学から学生に助っ人に来てもらうようになった。
 それが縁で数人の学生がS村に住むようになり、今では互いに「しばらく顔を見ないとなんだか寂しく心配になる」というほどの顔なじみになりました。
 村人にとって、学生の価値は最初、役に立つお神輿のかつぎ手という「してくれる価値」「できる価値」だった。それがいつしか、存在自体がありがたい「いてくれる価値」に変わっていた。
 知人はそれを「するする価値」から「いるいる価値」へと言っています。そのものがそこにそうしてあるということ、いるということ、そのことこそが、僕らにとってのすべてのめぐみの値打ちの根っこなのだと思います。

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