怪盗ジカンと我ら風景探偵団
あまり大きな声では言えませんが、僕の友人のミコシバさんは、風景探偵をしています。
風景探偵というのは、何十年も前に撮影され現在に残された、古い風景写真や絵はがきを手がかりに、失われてしまった町の記憶を取り戻そうとする者です。
なにをかくそう、この僕も、風景探偵のはしくれなのです。我ら風景探偵団!
たのもしくもあやしき我らがホソマ団長いわく「風景探偵は誰か特定の人からの依頼を受けるわけではない。あえて言えば、絵はがきからの依頼を受けているようなものだ…もともとは見知らぬ誰かから見知らぬ誰かに宛てられた古い絵はがきを、この探偵はまるで自分に宛てられたものであるかのように勘違いする。そして絵はがきに背中を押されるように、いそいそと風景を探りに出かける」(※)。
まさにそのようにして、僕たちは、ジカンという名の怪盗にまんまとぬすまれてしまった町の記憶を探りはじめる。
残されたのは一枚の風景写真。僕たちはそれを見つめて、手がかりを探る。直感と推理をもとに町に出る。町を歩いて、事件現場で、目撃者たちに聞き込みをする。
そうした調査を繰り返しながら、僕たちは、怪盗ジカンが現場からどんな記憶をぬすんだのかを探るわけです。ところが。
大洞内湖、回転橋、金城館にマルビシ…と、この町で、いくつもの事件を追いかけるうちに、僕はだんだん、あることを疑うようになりました。
怪盗ジカンは、ほんとうにいるのだろうか。この町から、なにかぬすまれたものがあるのではなくて、この町の人びとが、いまやこぞって健忘症になってしまったのではないか…。
きのうまであった風景を、僕らは平気で忘れてしまう。自分は忘れた、失ったのだと気付いているならいい方で、僕らはいまやそのことにさえ気付けない。
風景なんて、いや、人なんて、そんなものだよ。それが町なら、なおさらだ。風景のひとつやふたつ、なんなら丸ごとぬすまれたって、誰だって、実際平気なんだから。と怪盗ジカンが笑ったら、僕は反論できるだろうか。
へっぽこ探偵の僕はだんだん弱気になって、こないだなんて、M探偵に「この際僕らは、失われゆく風景を取り戻そうとするのでなくて、風景を、ちゃんと弔う。そういう者が、ひとりやふたりいたっていいね。どうだろう、いちど僕らで風景のお葬式でもやってみては」ともちかけたのでありました。
※引用: 細馬宏通『絵はがきのなかの彦根』サンライズ出版 2007年