指の先まで生きている
「紙はこすれば破れてしまう、鉄でもさびる、だが人間の手は、使えば使うほど、丈夫に、そしてかしこくなる」ということを、僕はずいぶん小さい頃に、僕の亡くなった祖父からおそわりました。
祖父のおしえの、それこそお手本のような豊かな手の実物を、僕は身近に知っています。
それは芹川の上流、多賀の山あいで、50年のあいだ野鍛冶職人として生きてきた、松浦さんの手であります。
野鍛冶というのは人びとが毎日田畑で使う農具や、山仕事に使う道具を専門につくる鍛冶屋のことです。昔はどこの村にもたいていあったのですが、いまはすっかりなくなりました。
僕が松浦さんとはじめて出会ったのは十年以上前のこと。以来、毎年かならず一度か二度は、会ってお話ししに行きます。
一年のうちに何度か「松浦さんに会いたいな」と、ふと思うときがあります。それで訪ねていくのです。おんとし90の松浦さん。いつもたびたび会うのはもったいなくて、そう遠くもない距離が、僕には毎年一度か二度のとっておきです。
松浦さんの手は、ほんとうに豊かでうつくしい。
はじめて見たとき「ああこれは、まるで断崖に生えている松の古木の根っこのようだ」と思いました。
ぐりぐりとふしくれだっていて、二、三本の指さきなど、関節のところでねじ曲がっています。僕はいつも、その手に見入ってしまいます。
ふいごであおって火をおこし、その火のなかへ鋼鉄を突っ込んで、真っ赤になるまで熱する。ハンマーをぎゅっと握って、エイ、ヤッと鉄をめがけて打ち下ろす。そうやって、鉄や鋼をたたき延ばして道具の形をつくっていく。そうした作業を火づくりといいます。
数年前に止すまでの、毎日50年、数え切れない道具を、つくりながらつくられてきた松浦さんの手なのです。
僕は一度だけ、その手を触らせてもらったことがあります。
手は生きていた。指の先まで生きものだった。
その手が僕に問いかけました。「若者よ、君は確かに生きている。だが君の手よ、生きているか」と。