ソラミミ堂

邂逅するソラミミ堂37 未遂の愉悦

このエントリーをはてなブックマークに追加 2018年11月23日更新

イラスト 上田三佳

 趣味のない人間だということになっている。ただ一度若い友人を師匠とたのんでさかな釣りの手ほどきを受けたことはあった。道具もいっぱしそろえたが、一シーズン通ったきりで、いまその釣り具は隅っこでオブジェになっている。
 はじめて行ったその日に大きなさかなを釣り上げた。いきなり大物を釣り上げて、今度もそれで気が済んでしまったんだろう。昔からの友人は、そんなふうに言う。今度も、というのが失敬である。あいつは昔から飽き性でなんでも三日坊主なんだから、と笑っているのだろう。
 釣れないからこそ釣りはたのしい、という基本的なことを、こういう輩は知らないのである。
 釣りの醍醐味というのは、目当てのさかなを釣り上げたその瞬間にあるのではなく、その瞬間のために工夫をしている時間、あるいは水面下幾尋かの世界にまだ見ぬ獲物を思い描いてワクワクしている時間のうちにこそあるのである。そのようないわば「未遂の愉悦」こそが、真の愉しみなのである。
 したがって、けっして飽きて投げ出したのではなく、立てかけてある釣竿を眺めては、あの岸壁やあの岩場でああしてこうすれば、あんなのやこんなのが釣れるんだなあ、と「未遂の愉悦」に延々ふけっているのであって、趣味というものに対する、これは極めて高尚な態度なのである。友人諸氏にはわかるまい。
 そういうわけで、趣味は「釣り」です、この瞬間も。
「締切」という岸壁に立って、ほら、このとおり、糸を垂らしている。
 意識の浅瀬。ここはとっても「魚影」が濃い。昨日あったあのこと、今朝のこのこと。書くほどでもないうれしいこと、告げるまでもないかなしいことが、足元にいっぱい泳いでいる。つんつん、つついてきたりする。見ているだけで面白い。釣れるかというと、意外に難しい。
 無意識の深淵には、なにがひそんでいるかわからない。いきなりがつん、と喰いついてくるかもしれない。
 見たこともない大物をあなたに釣って差し上げたくて、こうして糸を垂らしているが、ワクワク、ドキドキ、実は未遂を愉しんでいる。

 

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