邂逅するソラミミ堂34 朝の建設
『星の王子様』の作者サン=テグジュペリは人間について、こんなふうに言っている。
人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると信じることだ(※1)。
ところが実際には、僕らときたら、責任からは逃れたい、自分には関係ないとシラをきりたい、僚友の勝利はしばしばねたましく、他人の「石」をせっせと奪い取りながら、世界の解体に加担しているといった始末だ。ラジオを聞いても新聞を読んでも、僕らは(しかもこの頃は世間に名のある人たちが)面白いほどに、サン=テグジュペリ、彼が言う「人間」とまるで真逆なことをやっている。ひょっとしたら彼は、それを承知で、あえてさかさまに、かくあれかしと願いを込めて、こう語ったのかもしれないなあ。
僕の周りで彼のいう「人間」を実践している人としていちばんに思い浮かぶのは、あの人、通勤途中、道ばたの小さなお地蔵さまに、いつもきれいな花を捧げておられるおばあさん(だと思う)。
じつはまだ顔を見たこともないけれど、この人は、「人間」のひとりなのだと思う。
いつ見ても手向けられているきれいな花。それを目にするだけで、道行く僕の心はほんのり温かくなる。良い日だな、いいまちだな、と感じる。
当人にそんなつもりはなくても、欠かさず花を手向け続けるその人の日々のいとなみが、通りすがりの見知らぬ僕をも温めている。
その人は、自分の「花」を捧げることで、このまち│世界の、やすらかな朝の建設に加担している。
ラジオの向こう、新聞の上の「世界」は今日も滑稽なほど悲惨だけれど、このまち│世界の路傍に今朝も「花」は絶えない。
(※1)引用
サン=テグジュペリ『人間の土地』堀口大学訳、新潮文庫、1995年