ソラミミ堂

邂逅するソラミミ堂32 むかしとった きねづか

このエントリーをはてなブックマークに追加 2018年1月24日更新

イラスト 上田三佳

 妻子が寝しずまったあと、こたつにあたってうつらうつら、本を眺めていると、
 コトン。
 と向こうの障子が一度きり、鳴って止んだ。
 おや、と思うと、猫のマメ、ストーブの前で四肢もしっぽも投げ出して、横ざまに腹をあぶっていたのが、首をもたげて音のあたりをじっと見た。一秒、二秒。で向き直るついでに目が合ったので、
 ニッ。
 とひと言。
 言ってまた寝そべっている。
「木枯らし○号」と名付けられたのとは別に、郵便受けにはがきを一枚投げ込むように、ふるびた建具をゆすって鳴らす。そんなすきま風ひとつによって、冬の訪れ、季節の変わり目が、それと知られる。かすかな気配やきざしに満ちた、古民家住まいのたのしみと思う。
 我が家ではここ数年来、友人や近所の子らと、杵と臼での餅つきをする。解体される家から古い木の臼を譲り受けて、その時点ですでに大きなヒビが入っていたのをどうにか使っていたのだが、それも限界と見えて、そのままつくとふんだんに木くずをまぶした餅になりかねないので、今年はよそうかと考えていた。しかし試しにいらない臼はないかと知人にあたると、その日のうちに、あるからやろう、という人がいた。
 どの家庭でも、暮らしも屋敷のつくりも変わり、なにより便利な餅つき機が出て、臼の居場所もなくなった。いっときは、学校などへの寄贈が相次いだのだと近所の人から聞いていた。
 ところが、いざうちで朝から臼を温めて、コメを蒸して…とてんやわんやをしていると――というよりも、二、三日前から臼をおもてに出しているだけで――町内の小さな事件になるらしく、通りがかるあのおじさんや、このおばさん、普段は会釈で過ぎるのが、ちょっと止まって声をかけて来られる。
 ほんとはみんな大好きなんだね。お餅つき。
 不慣れな手つきを見るに見かねて手伝ってくれるおじさんもいるので、子や学生には「これがすなわち昔とった杵柄だよ」とすかさず教材にするのである。

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