邂逅するソラミミ堂31 「株価」のはなし
県庁前の電光掲示板には、琵琶湖の水位や気温、溶存酸素の濃度などが逐次表示されているのです。と他府県の人に話すと「滋賀県民はどれだけ琵琶湖が好きなのですか!?」と感嘆されてしまった。
好きよりなにより、毎日の、健康チェックのようなもの。ほら、毎日欠かさず体重計にのったり、基礎体温や血圧をはかっているという人もいるでしょう。それと同じに、私たちは毎日県土の、自然と暮らしのすこやかさをチェックしているわけ。
しかしもっと切実に、わずか一センチや二センチの、琵琶湖の水位の上がり下がりを死活問題にしているのが魚たちである。
かつて琵琶湖のほとりの田んぼは、水路で湖水とつながっていたので、コイやフナ、ナマズといった魚の親たちは、梅雨時期の雨と増水に乗じて田んぼへ上がり、そこで卵を産んでいた。田んぼの水は温かで心地よく、人の出入りがあるので天敵を回避するのに都合よい。卵からかえった子らは、やがて農家が田んぼの水を落とすのに乗じて水路へ、そして琵琶湖へ。
このように、人がこしらえた田を「ゆりかご」にして、魚たちはしたたかに繁殖してきた。人は人で、魚たちを、ときどきのめぐみ、日々の糧とした。稲作伝来後、たぶん千年以上の、もちつもたれつなのである。
ところが最近数十年はこの関係が切れていた。三面コンクリート張りの水路は人にとっては効率的で便利だったが魚にとっては絶壁だった。
これに気付いた農家や漁師が、魚たちとのつきあいを取り戻そうと開始したのが「魚のゆりかご水田プロジェクト」。
魚の親がうまく田んぼに上れるように、農夫と漁師が一緒になって水路を耕し魚道をつけた。
この秋も無事に収穫できたと知らせがあった。魚が子育てできるほど安全な田んぼでとれた「魚のゆりかご水田米」は、その物語とあいまって、むしろ都会で名を上げつつあるという。
わずかな水位の上がり下がりを気にかけながら、魚とともに育った米の銘柄の、まさに「株価」が上昇中というわけだ。
いま注目の、滋賀発の「“ブジネス”モデル」なのである。