邂逅するソラミミ堂26 鐘をうまそうにきく
「あたり」「おし」「おくり」と聞いてピンとくる人は、世間にどれくらい居るのだろうか。
やかましいから鳴らしてくれるな、と近隣から苦情が出るので取りやめになった。という話が聞かれるようなご時世だから、ずいぶん少ないんだと思う。迂闊にも僕は知らないでいた。
寺院の鐘の音のことである。
湖東平野に700年余の歴史を有する鋳物師の里。その伝統に根ざして梵鐘を鋳造する工房に現代の鋳物師を訪ねていろいろ勉強になった。
撞木が撞き座にあたるときの打撃音が「あたり」、その打撃音より比較的高い音が数秒から十秒ほど続くのを「おし」と呼ぶ。この「おし」は数種の音が複合して鳴る。遠くまで響いていくので「遠音」ともいう。「おし」のあとに、だんだんかすかになりながら数十秒から一分近く続く単一音が「おくり」。いわゆる余韻というものだろう。
以上三つに山あり谷ありの「うなり」という要素を加えて、これらの音の鳴り具合とか調和によって梵鐘の音の良し悪しが決まるのだ。
音の話なんだがなんだかうまそうな、と誰かが言って、確かにこんな分析法は上等の酒か何かを味わう場合にも通ずると思った。
「デシベル」でそれを聞くのではなく、鐘の音ひとつにも起承転結の物語があり、鐘を撞き鐘の音を聴く一会が一期の経験である。とそのように心の耳で聴くならば、そうやすやすと「やかましい」にはならぬはず。
今や梵鐘を作っているのは全国にわずか四軒という。ところが近年隣国中国に寺院建立ブームが起こって、最近受注した梵鐘三つのうち二つはあちらへ渡るのだそうな。
もとはと言えばかの国伝来の技術であったが、歴史の嵐の中で物も技術も廃れてしまった。先方にすればいわば逆輸入になるけれども、優れた技術の本物が高く評価され、大きな需要があるそうだ。
わが国内の梵鐘がこのごろ憂き目を見ているのとは対照的に、先方では、鐘の音を聴き分け味わう耳と文化が生きていたともいえる。
今年の除夜の鐘の音は心して、おいしく聴きたいと思う。