邂逅するソラミミ堂25 朝に鳥を埋める
猫のまめは我が家族の一員と言いながら、家猫にはなりきらないで、食事と寝るときのほか、目覚めている時間のほとんどを外で過ごしている。外でも大半は寝ているのかもしれない。
気性は穏やかで近所の腕白お転婆たちにまめまめといって取り囲まれ撫で回されたり不覚にも抱き上げられたりした場合でも決して爪をたてたり歯向かうことはしない。もっとも大抵は子らの襲来をいち早く察知してすっと雲隠れする。
それでも猫は猫、相手によっては血が騒ぐようで外出がそのまま狩りになり、しばしば獲物をくわえて帰還する。
こないだなど二日連続、つがいであろうか、ヒヨドリを仕留めてきたのを玄関先に無残に陳列してあった。十五、六日の、月煌々たる未明の凶行と思しく、第一発見者のはずの新聞配達の人にはさぞ驚かせたことと思う。
仕留めて自ら食べるならまだしも気の毒な獲物をさんざん弄んだうえでそこらに放り出しておいたりする。
そんならなんで捕まえる。無闇な殺生しなさんな。と諭し、猫に犬死させられた鳥に向けては監督者として詫びながら庭木の根元に埋葬する。
かくする内に琵琶湖漁師のリーダー T氏の言が思い出される。
曰く「自分たち漁師の仕事の半分は商品としては価値のない、いわば雑魚たちを、生きているうちに棲み家にかえしてやることだ」と。
その心は「アユやマスなど金めの魚はたとえ死んでいても商品として売れるのだ。ところが商品としては価値のない、いわゆる雑魚の数多の命を、金にならぬからといって粗末にしては、いずれ漁場の生物多様性、生態系のバランスが崩れて、漁師が目当てにする魚種の生存をも危うくすることにつながるだろう。琵琶湖で食わせてもらっていればこそ、売れない魚を生かして琵琶湖にかえすのだ」。
諄々と言って聞かすが、当の犯人はさて何のことか自分の仕業とは思われませんという態の、無関心な他人事みたいな顔でいる。満月の翌朝に同居の狼男を責める気分はこんなであろう。