邂逅するソラミミ堂23 海賊王たちの石ころ
まちのたからものを見つける方法について話して欲しい、と言われて、どんな話をしようかと考えていたら、娘らと浜辺を歩いた日の出来事が頭に浮かんだ。あの日は一緒に石ころをひろって遊んだのだった。
それで思いついて「たからものをみつける方法をみんなは知りたがるけれど、みつけたものをたからものにする方法をみんなが思い出したなら、まちはそのまま宝箱になるのではないか」というような話をした。
たからものというのは、世界にひとつであるとか、きわめてめずらしいとか、すこぶる古いということで決まるのだろう。
あるいは人気があるとか誰かのお墨付きがある、とか。
けれどそういった、モノの希少性とか珍奇性、そして権威にとらわれてしまうと、僕らにとって、モノがあるじに、心が従者になってしまう。
モノに取りつかれた心はいつまでたっても満たされない。あれとこれとをくらべることにあけくれて、あるいは競いあい、あるいは奪いあい、かえって心は貧しくなってしまうのである。裏を返せば、そうして人の心を虜にするモノが、古来たからものとされてきたのかもしれない。
伝説の海賊王がどこかの島の洞窟の奥深くに隠したという財宝。その財宝にとりつかれたならず者たちが、嵐の海や、なぞやのろいや、ゼッタイゼツメイやドンデンガエシのはてにたどりつく宝箱。
あけたら空っぽ!
にわかに海賊王の声がする。
きけよ兄弟
ほんとうのたからは
きょうここまでの諸君らの
夢と冒険の日々なのだ!
そんな連中を尻目に、子らは無心に、浜辺で石ころをひろう。
たからものだからひろった
のではなくて
このいしころは
ひろったから
たからものになったんだよ
そんな秘密を知っているから、少年少女の毎日は宝箱なのだ。
もうすぐ夏休み。きらきらの日々をわがものにして、少年少女は、みんな海賊王になる。