邂逅するソラミミ堂20 カエル号で買える
カエル号は余呉のむらむらのおばあちゃんたちにとって小さなオアシスだ。このオアシスは、こちらが探して歩かなくても、向こうから訪ねて来てくれる。
カエル号は、軽トラックに日用品や食料品や、行く先々で仕入れた新鮮なうわさ話を満載して、きょうはここ、あしたはここ、と、むらからむらへ売りまわる、移動販売車なのである。
商売なので、お客の欲しがる商品を渡して、ものに見合ったお代をもらう。当たり前である。けれど、カエル号の行く先々で、それがときどきひっくり返る。
たとえば、カエル号乗組員のカオリさんはこないだ、あるおばあちゃんにキュウリを売ったそばから、「これ持っておかえり」、とおばあちゃんちの畑でとれたというキュウリをお土産に持たされた。
カエル号は今や、過疎化が進んで一軒の店もなくなってしまったようなむらのひとたちにとって、なくてはならない存在だ。
けれどもそれはカエル号が、おばあちゃんたちにとってなくてはならないものを売り届けているからだけではないらしい。
田舎といっても、今や大抵のものは、電話一本、ボタンひとつで買えるし届く。たとえ体が不自由でも誰かに頼めばまちなかにあるスーパで代わりに買ってきてくれる。けれども、それでは買えない必需品、生活になくてはならないものがある。
キュウリを買ってキュウリをくれたおばあちゃんは、カエル号からいったい何を買ったのか。
おばあちゃんは、キュウリというモノ、を買ったのではなくて、買い物するというコト、を買ったのだ。
毎週毎週カエル号がやってくるのを心待ちにしているおばあちゃんたちの生活になくてはならないものは、一つひとつの買ったもの、なのではなくて、お買い物することそれ自体なのだということを、カエル号の乗組員はよく知っている。
高齢男子から見たらどっちもおんなじ、アンパンであればそれでいいアンパンに、少ない売り場を割いていつでも2種類以上揃えてあるのは、「あれかー」「これかー」とおしゃべりしながら迷う時間を思う存分楽しみたい、おばあちゃんたちのオトメゴコロをわきまえている。