邂逅するソラミミ堂13 夏の宿題
お盆も終わりという一日、ふと思い立ち、娘を誘って彦根港から遊覧船に乗った。行き先は、久しぶりの多景島。目的は、娘の自由研究を手伝って、ちょっとした下調べというところ。
じつは、自由研究は、ごきんじょのおばあちゃんたちに、せんそうのはなしをきいてみたらどうか、と提案してみた。
七十年前に、広島や長崎、沖縄や東京、この国のあちこち、それから世界の様々な国であったことをテレビで見、新聞の写真や絵で見、また、それらについて問われるままに、私たちなりに説明をしてやったのだったが、そのことで、七歳の娘は七歳なりに感じるところがあったのか、以来、せんそう、とか、ばくだん、とかいう言葉に対する感度がにわかに上がったようで、そうした言葉が聞こえると、あるいはそうした言葉や話題に固有の気配のようなものを察すると、遊びながらもちょっと耳をそばだてている。
それでこの際せんそうを自由研究したらどうかと提案してみたものである。
ご近所の戦跡巡りというと大げさだけれど、となり近所のなかよしのおばあちゃんたちにせんそうの思い出ばなしを聞いて現場をしらべてみよう。
それに乗じて親の我らもあらためて、しっかり話を伺う機会にできると目論んだ。
その手始めの多景島は、終戦間際のある日、琵琶湖に一機のゼロ戦が不時着、水没したという、まさにその時、飛行機が墜落するのを見ていたという、あのおばあちゃんが言っていた沖というのはこのあたりかな、と思いを馳せに行ってみた。
子の宿題の手伝いをして研究の手ほどきをしているというと聞こえはいいが、実際は七歳の子の「なに」「なぜ」「なんで」を浴びながら、しどろもどろになっている。
やってはいけないとか、やったほうがいいと、子供でも分かるようなことを、してしまったり、しなかったりする。なぜ、なんで? 大人の、そこが分からないんだよなあ。
夏も終わりに近づいて、まだ手つかずの宿題をつきつけられて、泣きべそかくのは、おとうさんかもしれないぞ。