邂逅するソラミミ堂8 村の斜交場
我が住む集落でもとなりの集落でも「若衆宿」あるいは「宿親」という習俗・制度があった。
一定の年齢に達した若者、ある集落では「元服」した男子。十五歳。そのおないどしが固まって、十名前後につき一組の同年集団をつくる。これを「若衆」とか「連中」と呼ぶ。
十五歳男子の親たちは、しめしあわせて、集落内でも人品すぐれて、家計にもそこそこ余裕のあるほどの人・家にたのんで子らの「宿親」になってもらう。子らと宿親とは儀礼的に親子の契りを結ぶ。儀礼的と言ってもその関係は死ぬまで続く。
たとえば毎週土曜日の晩、若衆は宿親宅のひと間に集う。若衆はそこでカロムをしたり、花札したり。他に遊びに行ける場所があるわけでなし、若衆宿でそうして遊び語らうのを何よりの楽しみにしたものだという。
若衆宿はそのように若者たちをただ遊ばすだけの場所ではなくて、若衆にとってはそこで世間について仕事について学ぶ機会でもあった。
ある宿の土間には米俵が一俵置いてあって、皆でそれを担ぐ練習をした。里芋を植える時季、村のしきたり、付き合いの作法から男女の仕方まで。祭りの日には各宿で若衆たちに風呂をつかわせ、着替えさせてやって送り出す。宿親になるのは誉れであるが責任も負担もあった。
若衆は若衆で、素行によっては「どこの若衆、連中か?」と、良くも悪くも宿親の名前が挙がるので、宿親の名を損なわないように、という気持ちになる。
同じ教訓でも実の親から言われるとカチンとくる。宿親に言われると、なるほどそうかとすんなり聞ける。それが人情というやつで、だからナナメの学びが成り立った。若衆宿はタテにもあらずヨコにもあらず、すなわち「斜交」の場であった。
宿親制度は時代とともに失われたが、未来を担う若者を地域で見守り自前でいかに育てるか、知恵と工夫であったと思う。
互いに閉じたタテ一列の学校、家庭、親子の間、ヨコ一線の仲間同士に悲痛な事件があとをたたない。あらたな時代の「斜交場」を取り戻したい。