邂逅するソラミミ堂7 goodさんで買った
goodさんの家がどこにあるのか知っている人の数は、彼の仲間のうちに、今はどれくらいにあるのだろう。
周りの人に聞いても、こんなにたびたび出会っていても、知らない、と言っていた。送ると言って車に乗せても、ここらで降りる、といってしっぽをつかませないのだ、と言っていた。
それを知らないでいるということを、いつまでも慈しんでいたい。そのほうが、きっと楽しい。お互いそんなふうに考えているフシがある。それでは教えてあげましょう、とgoodさん本人が今から申し出たとしても、みんなの方がたぶん固辞する。
伊吹のササブンが何かの折に呼びかけるのに「goodさん!」と言っていたのが、ほんとうにぴったりの呼び方だと思った。屋号からしてそう呼ぶなりゆきの「goodさん」だが、それより店主その人を言い当てている。
やあgoodさん、こんにちは。やあgoodさん、今日はとっても冷えるねえ。自分が楽しくなりたいために、店主にあいさつしたくなる。そのためだけにのれん(はないけど)をくぐるとしたら、よいお客ではないけれど、小さなまちの商店街へはモノよりもモノガタリをこそ買いに行く。
良いものを安く。利口な買い物もいいけれど、思い出に残る買い物をしたい。
ずいぶんまえに妻とふたりで家族の未来の買いモノガタリを思い描いてみたことがある。
この季節のこんな日こんな時間に、人生のこんな節目に、こんなお店で、一人で二人で家族で店主や店員さんとこんなやりとりをして、こんな買い物をしてみたい。
このまちに、となりのまちにも、そういうお店がひとつ、ふたつと増えていくのがとてもうれしい。
いつもひやかしばかりではない。goodさんでは年末に、上等のマグカップを買った。入って最初に目が合った。知らん顔して並んでいるのを一通り手に取ってから、好みはどれだと思いますかと悪ふざけした。これでしょうかと言い当てられた。
そんな思い出を買った。