邂逅するソラミミ堂4 無責任の責任
秋らしい日和にも恵まれて、娘の七五三を無事済ますことができた。この度もお多賀さんに詣でた。
まちの写真館で着付けをしてもらって、いろんなポーズで記念写真を撮ってもらってからお参りした。
こんな機会に改めて眺めると、化粧を施してもらったせいでもあるけれど、わが子の面差しはいたいけな幼児というより、もはやいっぱしの少女であった。着物姿のせいでもあろうが、歩いていく後ろ姿に彼女自身の意志が一本直立して見えた。
ハイハイからつかまり立ちへ、つかまり立ちから伝い歩きへ、と子には日に日に自分で出来ることが増えていく。ということは親が子にしてやれることは日に日に少なくなっていくわけだ。
ヨチヨチとこちらに向かって両手を伸べて歩いて来るわが子の快挙をこちらもまた手を差し伸べて迎え抱きとめてやったあの時から、僕らはすでに僕らを離れて向こうの方へ遠ざかり始める彼女の背中を見送るほかない者だったのだ。僕らの方が行進していく子らの背中を追っている。それならそれで、黙ってしんがりを務めるまでだ。それもまた、難しいことかもしれないけれど。
親ばかに逸れてしまった。でも、こんな話も先生としてみたかったと思う。
十一月は敬愛する日高敏隆先生が亡くなった月だ。
初代学長を務められた大学で「人が育つ」というモットーを掲げられた。「人を育てる」のではなく「人が(自分で)育つ」のだと、学校が宣言するのは相当過激なことだった。
「無責任だと言われるだろうが、無責任であることの責任はぼくが引き受ける」とおっしゃった。
凄い先生だったのである。
七五三の娘がまだ胎にいて、多分数センチくらいだった頃、妻はひどいツワリで随分苦しんでいた。そんな妻が、たまたま先生と電話で話して「おかしいねえ、生物学的には、この時期ツワリは終わっているはずですが…」と聞いたら次の日ケロリ全快したのであった。