源頼朝が戦勝祈願した「旗神さま」

源平ゆかりの地 豊満神社

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 愛荘町 2012年1月2日更新

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
 おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
 たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ

愛荘町の豊満神社

 平家の栄枯盛衰を描いた平家物語の冒頭である。学生の頃、暗記した人も多いだろう。物語のなかで、死の間際に平清盛は「葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ」と語っている。この辺りになると勉強したのかどうかも曖昧だが、その頼朝は鎌倉幕府の初代征夷大将軍だ。ここから江戸末期まで約700年に渡り征夷大将軍を長とする武家政権が続くのである。
 さて、頼朝が戦勝祈願したと伝わるのが、愛荘町にある豊満神社だ。
「神社のご祭神の一柱が神功皇后(息長帯比売命・おきながたらしひめのみこと)です。お腹に子どもを宿しながら朝鮮に出兵した『三韓征伐』で知られる神様です。その活躍にあやかって、神社の竹を旗ざおに使えば戦いに勝利できるという伝承が生まれ、頼朝公も祈願したと伝わっています」と宮司の大橋良造さん(46)が教えてくださった。

管粥占神事

 以来、近江の守護佐々木氏、六角氏、豊臣秀次などの武将が武運祈願をしたとされている。
 伝承から豊満神社は「旗神さま」とも呼ばれるようになり、彦根城主井伊家からも保護され、竹林の伐採禁止令が出されている。第二次世界大戦の際も出兵する人々が数多く参拝に訪れたという。
 二の鳥居をくぐって右手、境内社の祠のそばに竹林が残っている。現在この竹が使われるのは、正月に行われる「管粥占(つつがゆうらない)」の神事のときのみだ。縦半分に切れ目を入れた竹を米・小豆と一緒に炊き、竹の中に入りこんだ米・小豆の量で豊作を占うそうだ。
「平和な時代になりましたから、当社で祈願される内容も試合や選挙の必勝祈願などが多いですね。竹は勝手に伐採されると困りますが、ご依頼があればお分けすることはできます」。
 拝殿には武将たちが描かれた額がある。源平にちなんでか牛若丸と弁慶らしき絵もある。来年の大河ドラマ「平清盛」では、貴族社会から武士の時代、そして貿易の時代を切り拓いた人物の生き様が描かれるようだ。

大河ドラマにちなんだお守り

豊満神社

滋賀県愛荘町豊満392
TEL: 0749-42-3448

12月31日 23:30~「大祓式」並びに「除夜祭」
1月1日 10:00~「歳旦祭」
「管粥占神事」(1月14日)は非公開。
1月15日 早朝~「管粥占札授与」がある。(一体 100円)
12月31日 夜~1月3日夕方までと1月15日は拝殿前にて御神酒無料接待(お車を運転される方はご遠慮下さい)

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

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