手作り甲冑がとりもつ縁

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 甲良町 2011年11月23日更新

 10月末日。早朝に降った雨は止んでいたものの、空模様を気にしながら甲良町へと向かった。甲良町尼子の「甲良甲冑隊」武者行列を見に行くためだった。区の文化祭の催し物のひとつで、甲良甲冑隊は、「近江尼子武者隊」(尼子)と「高虎甲冑隊」(在士)のメンバーが合同したグループである。集落の子どもたちも行列に加わり、12人の武者が勇ましい足取りで集落を進んでいった。通りにはずらりと集落の人。カメラが向けられ、拍手が起こっていた。
 尼子は、バサラ大名の異名をもつ佐々木道誉の孫・高久が屋敷を構え尼子姓を名乗ったところだ。その後、尼子氏は近江と出雲に別れ、出雲に移った尼子氏は戦国時代に中国地方で一大勢力を築いた。行列の出発地の住泉寺は、かつて尼子氏の居館、尼子城があった場所だ。また在士は、築城工事に優れ、江戸城の改築など天下の普請に関わった武将・藤堂高虎の出生地である。
 近江尼子武者隊は青系、高虎甲冑隊は紫系の色で甲冑のデザインをまとめている。それぞれ尼子氏、高虎をイメージしている。
 甲冑は紙製で、メンバーの手作りである。
 甲冑の製作が始まったのは去年。高虎のゆかりの地4市町が集う「高虎サミット」が甲良町で開催され、尼子氏、高虎公のそれぞれの顕彰会がタッグを組み、サミットを盛り上げるため甲冑行列を計画したのがきっかけだ。
 天候を気にしていたのは甲冑が紙製ゆえだったからだ。しかし少々の雨ならものともしない丈夫な造りである。実は去年の製作現場にお邪魔させてもらっていた。型をとったダンボール状の厚紙を、ニスやうどん粉を使って耐強させ、塗料を塗り、飾り紐などで装飾していく。鎧かぶと一領につき200以上あるというパーツを、メンバーが分担してつなぎあわせ、仕上げていく。手間隙のかかる作業が印象的だった。
 「尼子の文化祭に在士の皆さんが協力してくださいました。共に甲冑を作ったことで日々の生活にも交流が生まれ、人と人とのつながりを、甲冑が取り持ってくれました。いずれ、甲良町全体で甲冑隊を結成し、絆を深めていくことができればうれしいですね。甲冑作りは応援にかけつけます」と甲良甲冑隊の隊長である坪内治義さん(71)が教えてくださった。
 甲冑が取り持つ縁。私もまたその縁でつながった一人である。

 

いと

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