岩脇山 防空壕

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2009年11月1日更新

岩脇山

 旧近江町、岩脇の集落に岩脇山というこじんまりとした山がある。藤子・F・不二雄の漫画ドラえもんでのび太がよく昼寝をしている裏山、といった感じだろうか。ただし岩脇山には大きな横穴がふたつ、ぽっかりと口を開けている。山の南東、JRの電車や貨物列車が定期的に通り過ぎるのがよく見えるあたりだ。かつて、この山にSLの防空壕を造ろうと試みられたことがあった。穴はその遺構だという。横穴はおよそ幅3メートル、高さは最大で5メートルだ。1本は貫通し130メートルの長さがある。もう1本は途中まで掘り進められた状態で行き止まりになっている。穴のなかは電気が灯され、影のせいたろう……、ごつごつとした岩肌が浮き上がって見える。冷たい空気が流れ、上から染み込んだ雨水が水たまりをつくっている。SLを収容するには小さすぎると思うのは、防空壕は完成することなく終戦を迎えたからだ。ここにSLが入ることはなかった。

藤本伝一さん

 「細い棒を突っ込んだような小さな穴があるでしょう。ここに爆薬をしかけて岩を掘り崩していったのではないかと推測しています。岩質のこの山を掘るのは相当大変だったと思いますよ」壁面を指して、岩脇まちづくり委員会の藤本伝一さんが説明してくださった。
 交通の要衝である米原駅は、戦時中も兵員や兵器の輸送拠点だった。機関車への空襲を避けるため、米原駅にほど近い岩脇山が選ばれたようだ。藤本さんによると、穴から米原駅の方へトロッコが走っていたのだという。掘り出した岩石を運ぶため、だったらしい。 
 「SLを隠すという目的のためか、防空壕についての記録の類はほとんど残っていないので、どのように掘られたかも推測するだけです」。トロッコのレールがどこまで延びていて、いつ撤去されたのか、終戦間際に生まれた藤本さんの記憶にも定かではない。終戦後しばらく残っていたトロッコは藤本さんらの格好の遊び道具だったそうだ。いつしかトロッコはなくなり、穴はゴミ捨て場と化していた。ゴミを撤去し、地域の遺産として見学できるよう整ったのはこの夏のことだ。

ごつごつとした岩肌が浮き上がって見える防空壕の内部

 藤本さんに案内されて、岩脇山に登る。中腹にはりつくように岩屋善光堂がある。長野の善光寺の開祖、本多善光が立ち寄って仏像を安置したことに始まる。遠く善光寺とゆかりのあるお堂だ。
 頂上には数分でたどりついた。どんぐりがたくさん転がっていて、近隣の家族連れがよく遊びに来るという。「上から見ると、山の形がよくわかるでしょう。龍のしっぽみたいなことから、龍尾山ともいうんです」。
琵琶湖の方の眺めが素晴らしい。
 「不思議なものですね…」
つぶやいた藤本さんの言葉。
風景のなかを新幹線が駆け抜けていった。

岩脇山 防空壕

防空壕の見学は、藤本伝一さんまで、事前にご連絡ください。

TEL: 0749-52-1830

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

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