みつほのみや
賀茂神社
近江八幡市の「賀茂神社」は僕にとって不思議な神社だった。3か月程前に受けた仕事が終わり、納品のために加茂町に向かった。9月7日、天気も上々、気分もよかった。 目的地まで2分ほどのところで、スマホのルート案内に従うと、そこは大きな神域を持つ賀茂神社だった。僕は導かれたような気がした。
車を駐め、早速車内で検索してみると「奈良時代、天変地異が起こり、国土が危機的な状況でありました。時の聖武天皇は、この日本の荒廃を憂い、天変地異のない世を願い、国土の災厄を封じ、人々の幸せを願う神社を創建する為、吉備真備(陰陽道の祖とも仰がれる)に命じ、陰陽道により、日本の『気』(エネルギー)の集まるところに神社を建てるため、天からの光が降り注ぎ、大地のエネルギーが集まっているとされる当地が選定され、更に陰陽道の技を尽くし、天平八年(七三六)、日本の『気』の集まる地(中心)に鬼門の方位に神社を向けて、災厄を封じ、そこに荘厳な社殿を造営し、賀茂大神を迎え、当社を創建になられました」とある。
日本の災厄を封じる!? 吉備真備!? 陰陽道の技!? 天平8年!? 刺激的な文字が並んでいた。
今、世界は新型コロナウイルス感染拡大という厄災に襲われている。僕はコロナ収束を祈った。賀茂神社こそ祈るに相応しい神社はないと思った。
絵馬には八咫烏(やたがらす)が描かれていた。賀茂神社の主祭神は、「賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)」。神武天皇が熊野山中で道に迷ったとき、賀茂建角身命は八咫烏に化身し導いたのである。
社務所でパンフレットをいただいた。謎の記号が記されていた。
パンフレットによると、「これは、古代文字であるヲシテ文字で『みつほのみや』と書かれています。ホツマツタエによると瓊瓊杵尊(ニニキネ)が当地に宮(住まい)を構えていたとされ、「ミツホノミヤ」とされました。」
僕には理解する基礎知識が欠けている……。更に、パンフレットには、と記されている。「フトマニ」と読む。「吉備真備は当時、古代文字で書かれた国の歴史を記された書『フトマニ』に加筆していたことが残されています。そのことによって、吉備真備もこのフトマニを認識していたことがわかります。この地が、ニニキネ(天孫降臨の瓊瓊杵尊)の拠点である『瑞穂の宮』であったとされていたことを知っていたのではと言われています。」
広辞苑に「ヲシテ文字」は載っていなかった。ウィキペディアには、[ヲシテは、いずれも江戸時代中期には存在したことが確認されている『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『カクのミハタ(フトマニなど)』を記述している文字である。旧来は「ホツマ文字」とも呼ばれていた。この3文献は「ヲシテ文献」と呼ばれている][江戸時代に創作された神代文字のひとつであるとされている]と書かれていた。
この不思議を理解したいと思った。更に、賀茂神社には好奇心を刺激する多くの不思議で溢れている。何枚も写真を撮ったのに、ある場所だけデータが残っていなかったなどという話(事実)は別にして、機会があれば、記事にしてみたい。ホツマ文字で紹介することがで
きるかもしれない。
【風翁】