クールな頭で 湖底遺跡の謎を解く!?
大正13年、北琵琶湖の半島、葛籠尾崎(つづらおざき)の東側で、湖北町尾上の漁師が仕掛けた網から、土器を引き上げた。その後も壷や皿などの土器が網にかかった。土器は縄文から平安時代にかけてのもので、葛籠尾崎の湖底に遺跡があることがわかった。
調査以外で土器を引き上げたのは、ほとんど尾上の漁師だった。他地域にも漁をする人々はいる。何故、尾上の漁師の網にだけ土器がかかるのか……、疑問に思った。現役の漁師であり、実際に土器を引き上げたこともある前田義明さんに尋ねると「葛籠尾崎付近ではイサザを獲るために底引き網を使うので、湖底に沈んだ土器が網にかかってきたんです。底引き網漁も地域ごとに方法が異なるので、尾上の漁に限って引き上げられたのでしょう」。当初は、骨壷と考えられ、尾上の相頓寺に預けられたという。
葛籠尾崎湖底遺跡資料館では、引き上げられた土器の展示をはじめ、尾上出身の考古学者で京都教育大学の学長を務めた故小江慶雄(おえよしお)氏の業績が紹介されている。日本で初めてとなるスキューバ潜水の調査方法で葛籠尾崎湖底を調査するなど、日本の水中考古学の発展を促した人物である。土器が預けられたという相頓寺が氏の生家である。少年時代の小江氏は自宅に運ばれる土器を見て、琵琶湖底の物語を想像したに違いない。
葛籠尾崎湖底遺跡には謎が残されている。
琵琶湖岸や湖底に沈む遺跡は約90ヶ所確認されているが、ほとんどは水深数メートルの場所にある。地形の変化で、陸地だった場所が沈下したと考えられている。小江氏は葛籠尾崎湖岸にあった遺跡層が水位の上下で解体し、湖底に沈んだのではないかと考えたが、葛籠尾崎湖底遺跡は、深いところでは水深70メートルで、地盤沈下が起こったとは考えにくい。実際の調査でも、大規模な地形の変動はなかったことが明らかになっている。更に、土器の多くがほとんど完全な形を保っているのだ。
『どのようにして、葛籠尾崎湖底遺跡ができたのか』これが謎だ。
祭祀などを目的とし意図的に土器を沈めたという説もあるが、実証には至っていない。
資料館では、前田さんをはじめ漁師さんが土器を引き上げたときの様子など、リアルな話を聞くこともできる。
夏休み、真っ直中……。
クールな頭で湖底遺跡の謎を解く!
小江氏を継ぐ小さな考古学者たちに任せておくには、あまりに魅力的な謎である。想像の翼は、ある日突然、はばたく……。
葛籠尾崎湖底遺跡資料館
湖北町尾上153-2(尾上公民館内)tel.0749-79-0407
開館時間 9:30〜17:00 / 休館日 火曜(祝祭日の場合はその翌日休館)
入館料 200円(中学生以下は無料)
漁師さんの話を希望の場合は事前に予約が必要
店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。
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