いつか松茸山のように
荒神山ファンクラブ
11月の終わり、雨上がりの日曜日に荒神山を訪れた。かつて「松茸山」として有名だった荒神山にふたたび松茸を、と活動している荒神山ファンクラブの、「松茸復活プロジェクト」の作業が行われると聞いたからだ。ファンクラブ代表の水野華織さんに案内してもらい、色とりどりの落ち葉を踏みしめながら、整備された山道をふもとからのぼった。冷たい空気がさわやかで心地いい。毎月、荒神山に足を運ぶ水野さんは、「今の時期は、虫もいなくて、作業にも最適ですよ」と教えてくれた。
石寺町の管理するエリアで松茸復活プロジェクトは、毎月「皆伐作業」を行なっている。ここでいう「皆伐」とは、アカマツ以外の木をすべて切り倒し、木の根も掘り起こし、落ち葉を拾い、腐葉土も掘り起こし、なるべく土を「痩せた」状態にすること。そうすることで松茸が生えやすい環境になるという。高級食材の松茸だが、栄養豊富な土地では育たない。ひとびとが山に入り、暮らしのために薪や落ち葉を拾い尽くしたかつての「里山」の状態でこそ育つのだそうだ。そうして環境を整え、松茸の菌が近隣の山からやってくるのを待つのだという。
石寺町のひとびとが荒神山で山林整備作業をはじめたのは2002年頃。ふるくから近隣集落の暮らしに密着してきた荒神山だったが、ほかの里山と同様に、1980年代頃からの化石燃料の普及にともない、日常、山へ入ることはほとんどなくなったという。
「先祖から受け継いだ山が荒れて雑木林になっている現状をなんとかしなくては」と2002年に石寺町で組織されたのが、「山王会」だった。まずは、明治期に合祀されたことによって廃れてしまっていた下石寺の社の整備から始めることになった。明治期に稲村神社に合祀されるまで、荒神山には周辺集落の社があったのだそうだ。2年ほどかけ、社までの道と社を整えた。その後は県からの依頼を受け、植栽や松枯れした木の伐倒に注力した時期もあったというが、石寺のひとびとには「荒神山をふたたび松茸山にしたい」という夢があった。
「荒神山のふもとまで内湖だった頃は、京阪神からのお客さんを田舟で荒神山までお連れして、松茸狩りをしていたんですよ。松茸の入札会もさかんで、子どもの頃は、松茸はほんとうに身近なものだった。一本でも松茸が生えれば、みなさん荒神山に目を向けてくれるのではないか。せっかくの財産である山を後世につなげる基礎がつくれたら」と、山王会代表の西川時男さんは話す。作業の休憩時間、西川さんと以前内湖だった場所を見はるかしながらお話を聞いていると、松茸はたんに高級食材だから求められているのではなく、石寺の歴史に根ざした、世代も場所も越えてひとびとをつなぐものとして望まれているんだと思った。
こうした取り組みは、今年度立ち上げられた荒神山ファンクラブと連携している。水野さん自身、学生時代から石寺の取り組みに関わるようになり、山林整備にかかわるうちにファンクラブをつくることになったという。「松茸復活は大きな目標ですが、ウォーキングや催し、スポーツなど、荒神山をもっと気軽につかってもらえるように開いていけたら」と話す。ファンクラブは、地域に関わらず、広く会員を募集している。
毎月の作業のほか、荒神山ファンクラブでは椎茸栽培やバーベキューなど、さまざまな取り組みも行っている。外からもひとがかかわることができる環境をゆるやかに整えていくやり方は、松茸山の整え方からの学びなんだろうと思う。
荒神山ファンクラブ
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荒神山ファンクラブ事務局(担当:水野)
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【はま】