こんにゃく復活
奥永源寺・蓼畑
昔ながらのこんにゃくづくりの方法を、地元のひとが高校生に教えるイベントがあると聞き、車で奥永源寺の蓼畑へ駆けつけた。永源寺と聞いた時から、私の頭にはあるひとの顔が思い浮かんでいた。奥永源寺の地域おこし協力隊として政所に住んでいる、山形蓮さんだ。友人である。帰りに訪ねてみようか、と考えながら「蓼畑こんにゃく道場」前へ辿りつくと、当の山形さんが出迎えてくれて、驚いた。
八日市南高校から、郷土料理を通して地元の人とふれあう事業をしたいと依頼があり、地域おこし協力隊の山形さんがコーディネートを担当。今回の機会が実現したという。八日市南高校生の有志8人が参加し、蓼畑の人に教えてもらったことをメモしながら、こんにゃくづくりをしていた。
こんにゃく芋を茹で、皮をむき、臼と杵で「小突いて」つぶし、灰に湯をかけて濾した「灰汁」(「あく」。「にが」とも言うよう)を混ぜ、木箱に入れて形を整え、大きな釜に沸かした湯(ここにも灰汁を混ぜる)で湯がく。これがこの地域の昔ながらの製法だ。各家庭で当たり前につくられてきたという。30年ほど前にこの「こんにゃく道場」ができると、集落の人々が何日も寄り合い、「正月のために二、三百丁つくった年もあった」というほど大量につくっていた頃もあったという。しかし手間も時間もかかるこんにゃくづくりは徐々にされなくなり、ここ10年ほどは途絶えて、道場も閉めたきりになっていたという。
「今回、高校生が来ることになって、昔のやり方を復活させることになったけれど、当時こんにゃくづくりを仕切っていたのは私たちより上の世代。傍で見ながら手伝っていたこんにゃくづくりを、みんなで思い出しながら、ああでもないこうでもないとここ1週間くらい研究して、ようやく形になってきました」と、中川孝太郎さんは話してくれた。
中川さんによると、こんにゃくづくりで最も肝心なのは、「灰汁づくり」。藁灰と木灰を両方つくり、それぞれの灰汁をつくる。それを配合して、こんにゃく芋に混ぜ込む灰汁をつくる。この配合が難しく、芋の状態や、様々な条件に合わせて、最終的にはある種の『勘』で決めるのだという。それだけに、経験がものを言う。
蓼畑の集落のなかにも茶畑がある。こんにゃく芋の株は、成長すると地上1メートルほどまで伸びるので、風で倒れやすい。そのため、この地域では茶畑の畝の間に植えて風を防ぎながら育てていたそうだ。また、こんにゃく芋とお茶の木は同じ地質を好むこと、木灰はお茶の木を使うのが一番良いとされてきたことなどを聞くと、この地域の暮らしの知恵がしのばれる。
こんにゃくが茹で上がると、茹でたてのこんにゃくが振る舞われた。「味がない…食感が…?」と最初、戸惑いの表情を見せた高校生たち、わさび醤油をつけたりするうち、「うまい!」「おいしい!」と声を上げ出した。ぷるぷるとしていながら、歯を入れるとさくっと歯切れがよい。芋の食感が残っている。「川の水を口に入れたみたいだった」と言った高校生もいた。まさに永源寺を流れる川の水のような、澄んだ、いきのいい味がした。
こんにゃく芋は、こんにゃくの原料となるまで、植えてから3年かかる。蓼畑では、今回のために村じゅうのこんにゃく芋を集めてきて使ってしまったそうで、来年から芋を植えて、また育てなくてはならないが、それでも、せっかく復活させたこんにゃくづくり、今後もやっていこうかという話になっているという。私もまたこのこんにゃくを食べたい。できれば次回は、作ってもみたい。こんにゃく入りの炊き込みご飯を「おかわり!」と食べていた山形さんの元気な顔も見れてよかった。
【篋】