雪の詩人——高祖 保

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2015年2月27日更新

 落ちては溶ける春の雪が降るなか、金沢の出版社「龜鳴屋」さんから小包が届いた。数日前に電話で注文した、高祖保の随筆集『庭柯のうぐひす』だった。
 「雪」の詩人と呼ばれた高祖保を知る人は、多くないだろうと思う。彼の育った彦根においても、その知名度はおそらくさして変わらない。私が高祖保を知ったのも、別の調べ物をしているときにたまたま名前を目にしたからだった。
 高祖保は、明治43年に岡山県邑久郡牛窓で生まれた。9歳で父親を亡くしてから、22歳で東京へ進学するまでの13年ほどを、母親の故郷彦根で暮らした。彦根中学校(現在の彦根東高等学校)在学時から詩や随筆の発表を始め、雑誌への投稿や、詩歌雑誌などの編集にも参加している。
 東京では國學院大学高等師範部に学びながら詩壇で存在感を増していき、27歳で貿易会社の社長となった後も詩作を続ける。32歳で発行した第三詩集『雪』は、文芸汎論詩集賞を受賞。昭和19年に応召し、翌年、ビルマで戦病死したとされる。享年35歳。
 静かで澄んだ印象の高祖保の佳作には、雪、湖、夜、月といったモチーフがしばしば現れる。そうした詩想の原風景はおそらく、文学好きな高祖少年がやがて詩人となっていった地、彦根にある。

随筆集『庭柯のうぐひす』、『高祖保書簡集 井上多喜三郎宛』(ともに外村彰編)、『念ふ鳥 詩人高祖保』外村彰著(すべて龜鳴屋発行)は龜鳴屋ウェブサイトから購入可能。

 冒頭に掲げた詩は、詩集『雪』の表題作であり、彼の代表作のひとつといえるだろう一編だ。今よりも雪深かったのだろう彦根の冬の情景に、研ぎ澄まされた内面的世界が重なっていく。「桜馬場」の呼び名は今はないが、高祖宅のあった場所は、彦根城の外堀に面した「外馬場町」というまちだった。そこで保と二人きり、気遣い合うように暮らしていたという母親は、保を産んだ時すでに40歳近く、『雪』発表の数年前には亡くなった。高祖保の一生と代表作をまとめた『念ふ鳥』で、著者の外村彰は「夜の静寂から、死そのものを内包する清冽なしずけさを導きだしている」と評している。
 随筆集『庭柯のうぐひす』の中にも、彦根や湖への思いを随所で綴っている。昭和17年3月に発表された『啓蟄』では、「思ふにわたしは青春の一部を、あの雪国の雪のなかへ埋めてきた」と述べ、彦根の雪を描写している。近江をうたった万葉の歌を取り上げた随筆『湖のほとりへ』の中では、「あの閑かな環境から、なぜ数理的な人物のみが多く輩出して、傑れた筆硯の徒が出てこないのか」とふしぎがっている。
 戦後活躍することのなかった高祖保は、文学史からほとんど忘れられた。彼が暮らした頃とは、彦根の風景もずいぶん変わった。それでも、彼が残した叙情詩には、詩人・高祖保の故郷彦根の雪が舞い、湖が澄み渡り、褪せることなく息づいている。

参考文献

  • 『高祖保随筆集 庭柯のうぐひす』外村彰編 龜鳴屋発行 2014年
  • 『念ふ鳥 詩人 高祖保』外村彰著 龜鳴屋発行 2009年

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