先食烏
多賀大社のお使いは「烏」。『多賀大社由緒畧記』には『祭りの前に必ず、本殿の脇に据えられた先食台(せんじきだい)と呼ばれる木の台に神饌の米をお供えする。すると、森からこの烏が飛んできて、神饌に穢れがないとこれを啄ばむ。古くは、もし烏が啄ばまない場合は、改めて神饌を造り直したという』と記されている。この行事は古くから行われ、安土桃山時代の曼荼羅にも先食台と先食烏が描かれているという。
今でこそ、カラスは不吉な存在として語られることが多いがかつては、カラスは信仰の対象であった。日本では、ミサキ神的な役割を担う存在として登場する。ミサキ神とは、物事の吉凶に先んじて起こる現象のことで、特に、カラスは、吉事の前触れを指す存在として知られている。
記紀神話に登場する八咫烏(やたがらす)は、神武東征の際、熊野の山で先に立ち、松明を掲げ大和へ先導したといわれている。八咫烏は勝利を導く神であり、今では日本サッカー協会のシンボルマークにも描かれている。将来の光明を告げる存在としての烏は、ミサキ神的な性質を持っているわけだ。
神前への御供を、先にカラスに食べさせるという神事は、一般的に「御烏喰神事(おとぐいししんじ)」と呼ばれ、愛知県の熱田神宮の摂社である御田神社(みたじんじゃ)では、「烏喰の儀(おとぐいのぎ)」が、広島県の厳島神社では、「御烏喰式(おとぐいしき)」として行われている。
カラスは「何かの前触れ=ミサキ」となったとき、信仰の対象になる。先食烏は、普段は普通のカラスである。神事の中で、神様の食事に先に口をつける所作をした瞬間、先食烏と呼ばれる烏となるのだ。
興味深いのは、先食台が存在するのは、日本で唯一多賀大社だけである。更に、先食烏が現れなかった場合、『多賀大社由緒畧記』には、神饌を造り直したとあるが、神饌を造り直すのではなく、摂社の調宮神社(ととのみやじんじゃ)に持っていき、同じ神事をし、それでも現れない場合、杉坂峠神木の三本杉まで持っていった時代もあったという。
これは、多賀大社の祭神である伊邪那岐命降臨を逆に辿っていることだ。
国生みを行った伊邪那岐命は、多くの神を生んだ後、息子神である須佐之男命の横暴ぶりに愛想を尽かし、高天原から地上へ降りてきた。その時、伊邪那岐命は、まず、三本杉に降り立ち、山道を下っていたが、来栖(くるす)の辺りで体調を崩し「苦しい」と漏らした。これが来栖の地名となった。そして、体調を調えるため一休みしたのが調宮神社である。その後、多賀大社の場所に落ち着いたとされている。まるで、何かに導かれるように、安住の地に辿り着いたのだ。
カラスは勝利や吉事へ導くミサキ神である。これは神話には書かれていないが、もしかしたら、伊邪那岐命を導いたカラスがいたのかもしれない。