「蚊の精」と「蛟(みずち)」 2
『中仙道守山宿』(宇野宗佑著、青蛙房)の「蚊と蛟」に、猫面蛇身の怪蛇の記述があった。寛保・安永(1741〜1779)の頃の学者・宇野醴泉が村人から聞いた話という。
「安永四年乙未(きのとひつじ)の夏、六月二十六日、近江国野洲郡石田村溝渠中ニ物有リテ半身ヲ出ス、猫面蛇身(びょうめんじゃしん)、耳有リ、髭有リテ角(つの)無シ。頷下(がんか)ニ物垂レ纓(よう)ニ似タリ」。
『醴泉詩稿』の末尾に記したもので、「蛟に違いない」と、参考となる文献を用いて推理している。
そもそも、蛟とは、いかなる妖怪なのか。
広辞苑には「【蛟・虬・虯・螭】(古くはミツチと清音。ミは水、ツは助詞、チは霊で、水の霊の意)想像上の動物。蛇に似て、四脚を持ち、毒気を吐いて人を害するという」とある。
『水木しげるの妖怪文庫2』(河出文庫)には「蜃」とも書き、「龍と同じく角と赤いヒゲがあり、腰以下の鱗がみな逆に生えて、燕子(えんし:ツバメの子)を喰うと気を吐いて蜃気楼をつくる」。
『妖怪事典』(村上健司著)には、「ミヅチは蛟龍、蛟とも書くが、これは中国由来の龍の一種のことである。『和漢三才図会』は中国の『本草綱目』を引いて次のように解説している。蛟は龍属である。長さは一丈(約三メートル)あまり、蛇に似て鱗がある。四足で、形は広く楯のようである。小頭で頸(くび)は細く、頸のまわりに輪のように白い模様がある」と記されている。
ところが、醴泉が蛟だと推理した怪蛇は「猫面蛇身」である。おそらく、唯一淡海に現れた妖怪である。そして手前味噌だが、淡海妖怪学波における21世紀最高の再発見といえるだろう(新発見は宇野醴泉)。
さて、猫面蛇身の蛟の姿形はいかなるものか……。
現れた地域は「近江国野洲郡石田村」故、現在の守山市中心部の北西、琵琶湖の沿岸、天神川の河口域付近である。
「溝渠中ニ物有リテ半身ヲ出ス」ということは、給排水のため、土を掘った水路から半身を乗り出したところを、村民が見たのだろう。
「耳有リ、髭有リテ角無シ」というくだりは、「猫面蛇身」と核心のフレーズが続く故、耳も髭も目鼻口も猫で、角だけがない。日本猫のイメージである。
「頷下ニ物垂レ纓ニ似タリ」とは、顎(あご)の下には冠の装飾具で紐のようなものが垂れているということ。
そして、醴泉が「蛟に違いない」と推理していることから、蛟の特徴を加えていくと、小頭で頸は細く四脚。腰以下の鱗がみな逆に生えている。
しかし、詳細な部分が記されていない。例えば、色彩情報が全くない。顔は毛で覆われているのか、鱗なのかどうか、四脚は猫だろうか龍のそれだろうか……、今のところ、翼のない西洋のドラゴンのようではないかと想像している。
安永の頃の溝渠の幅や深さが判明すれば、猫面蛇身の蛟の大きさも推測できるが、今後の課題だ。『醴泉詩稿』にある醴泉の推理がどのようなものか判れば、更に具体的な図像を得られるに違いない。
淡海には、猫面蛇身の蛟のように、書き記され埋もれてしまった妖怪たちがまだまだ多くいるのではないだろうか。古文書を読解できるようになりたいものである。