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淡海の妖怪

デンダイドのミステリー

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2020年5月25日更新

 ここのところ河童について調べることが多い。調べるといっても資料を眺めているだけなのだが、わからないことばかりだ。妖怪は「妖」しい、「怪」しいものだから仕方ない。旧東浅井郡びわ町の河童の昔話に解けないミステリーがあった。
 下八木の南西に「デンダイド」という大きな沼があった。沼のそばに「デンダ」という爺さんが住んでいた。デンダが「ナカエリ」という湖のそばへ畑仕事にでかけると、ガワタ(河童の別称)と相撲をとることになった。なかなか勝負がつかず、デンダは負けそうになったので、力まかせにガワタの頭を叩くと、頭の皿が割れ、ガワタは頭をおさえて、「覚えていろ」と叫び逃げていった。
 その夜、誰かが「デンダが、ガワタに殺された」と何度も触れ回ったので、村人がガワタの家へ駆けつけると、爺さんは尻のトッコを抜かれて死んでいた。
 それ以後、デンダイドでは「ガワタにトッコを抜かれてはたまらん」といって泳がなくなったという。

トッコ

 河童は、陽気で悪戯好きなものばかりではない。牛や馬ときには人を沼や川、湖に引きずり込み、尻から血を吸い、尻子玉を抜き死に至らせる。
 尻子玉は、人の肛門の中にある想像上の玉で、河童の好物といわれる。
 「トッコ」は「尻子玉」のことだろう。デンダ爺さんは尻子玉を抜かれて死んだのだ。
 尻子玉は全国共通の河童の好物だが、何故、下八木だけ特別に「トッコ」というのか、何らかの理由があるはずだ。

デンダイド

 「デンダイド」という沼は下八木の南西、「ナカエリ(中魞)」は、下八木の湖側にあると昔話は伝えている。ナカエリは奥びわスポーツの森辺りだ。位置関係が明確である。
 「デンダイド」だが、爺さんの名が「デンダ」である。デンダは沼の管理者、あるいは所有者だった可能性が強い。「イド」が何を現すのかは今のところ想像が及ばない。
 ところで、旧びわ町野寺にガワタが出る「姉川原の水だまり」という話がある。姉川に架かる野寺橋が土橋だった頃、川原はいつも深い水だまりになっていて、護岸には数多くの杭が打ち付けられ底はすり鉢状になっていたという。ここにガワタがおり、誘われて相撲をとっていると深みに引きずり込まれ肛門から生き肝を取って食べられてしまうという。野寺橋がコンクリート橋になると(おそらく1959年頃)、川床が高くなり水だまりもなくなり、ガワトロは大浜の渕に宿替えしたという。大浜は姉川河口付近である。宿替えするガワタをガワトロと記してあるのが興味深い。
 ガワタは住み心地のよい場所を求めて移住する種族であることがわかる。
 ということは、「デンダイド」の所有をめぐる争いが殺人事件へと発展したということではないだろうか。
 調べていると昔話には2つのパターンがあった(2冊しか調べていないが)。相撲に「デンダが負けて、ガワタの皿を割った」と「負けそうになってガワタの皿を割った」。村人は「デンダの家に駆けつけた」と「ガワタの家に駆けつけた」というものである。「デンダが負けて、ガワタの皿を割った」、「ガワタの家に駆けつけた」というパターンが面白い。
 「デンダが、ガワタに殺された」と何度も触れ回った者が誰かは明らかにされていないが、たぶんガワタだ。デンダイドの所有権を奪ったことを知らせるためである。
 村人はデンダの家に駆けつけ死体を発見する。しかし、既に所有者がガワタに変わっているので、ガワタの家に駆けつけたとするパターンが生まれた。
 そう考えるとこの話、公にすることが憚られる水をめぐる歴史的事実が隠されているのではないかと思えてくる。

河童の皿

 デンダは負けそうになり、力まかせにガワタの頭を叩き頭の皿を割った。が、そう簡単に素手で割れるものだろうか。
 彦根城博物館所蔵の『河太郎図』には頭の皿はないと書いたが(DADA680号)、詳しくみてみると、黒髪の中に鋭い三日月形のラインが描かれている。「寛永年中豊後肥田ニテ捕候水虎之図」(川崎市市民ミュージアム蔵)には、頭の皿に蓋(ふた)ありて、蛤のごとし。深さ一寸ほどと記されている。『河太郎図』の三日月形は皿の蓋のラインなのだとわかった。
 デンダが割ったというガワタの皿は、実際は蓋がズレただけではなかったのか。それゆえ、その夜に報復が可能だったのである。
 新型コロナ渦中にあって、ずっとこんな妄想に耽っていた。デンダイドについて何かご存知の方はご連絡ください。

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