淡海の妖怪

新型コロナウイルスと妖怪

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2020年5月5日更新


アマビエを描いてみた

アマビエはアマビコ

 「アマビエ」という妖怪が新型コロナウイルスの感染拡大とともに話題になっている。実はアマビエの名はアマビコが正しい。『明治妖怪新聞』(湯本豪一編)は、近代化が推し進められた明治時代に新聞紙上を賑わせた妖怪や怪奇譚を集めた書籍だ。アマビエについて記されている。
〝肥後の海中に毎夜のように光るものが出没する。役人が調べたところ、それは「アマビエ」と名乗る怪物で、六年間の豊作を予言し、病気が流行したら自分の姿を写して人々に見せるようにと伝えて海中に消えたという〟。弘化3年4月中旬の瓦版で報じられた妖怪だ。全身が鱗で覆われ、嘴のような口、足先にも届きそうな長い髪、寸胴、三本の足、菱形の可愛い目をしたアマビエの絵が載っている。
 明治14年10月20日付の『東京曙新聞』に、「天彦(あまびこ)」、明治15年7月10日付の『郵便報知新聞』に「あま彦」と書かれたものがあり、〝これら二つの記事に書かれた〈光を発して海中に住む〉という「天彦」の特徴は奇しくも「アマビエ」のそれと一致するのである。その「アマビエ」はというと、拙い絵ながら三本の足が確かに描かれている。これらのことから「アマビエ」が「天彦」のことであったのは間違いないであろう〟としている。
 アマビエという名称がどうして生まれたかについては、〝最初は「アマビコ(天彦、あま彦)」と書かれていたものの、「天彦」「あま彦」の存在を知らない者がその情報を書き写すときに「コ」を似通った字の「エ」と転写してしまい、さらに原本が失われたことによってこの情報だけが後世まで残った。(中略)言ってみれば「アマビエ」などという怪獣は初めから存在しなかったのだ。誤解を生まないためにも、今後「アマビエ」という名称は避けるべきなのではないだろうか〟と書かれている。
 アマビコは、予言をし護符となる妖怪なのだが、今の流行は護符の部分だけが注目されているようだ。アマビエは肥後の妖怪だが、アマビコならば淡海にもいるような気がしている。

琵琶湖の水虎

 『河童俗承大事典』(和田寛編)に、寛政9年(1797)頃に書かれた随筆集『閑窓自語』(柳原紀光著)の「近江水虎語」に、〝近江なりけるものゝかたりしは、湖水にかはら(水虎俗にかはたらう、あるひはかつぱなどといふなり)おほくあり〟、『日本妖怪大全』(水木しげる著)の「水虎」には、〝河童の中でも親方のように大きく、しかも姿が見えにくい。九州の筑後川、近江の琵琶湖あたりにいるといわれ、夜ふけに戸をたたいていたずらをしたり人に憑いたりする〟とある。
 江戸時代の浮世絵師鳥山石燕は全身鱗に覆われた水虎を描き、〝水虎はかたち小児のごとし。甲は鮻鯉のごとく、膝頭虎の爪に似たり。もろこし速水の辺にすみて、つねに沙の上に甲を曝すといへり〟と文章を添えている。
 「甲は鮻鯉のごとく」の「鮻鯉」は「りょうり」と読む。字面から魚類のようだが「センザンコウ」のことをいうらしい。アルマジロのような哺乳類で、今年3月末、新型コロナウイルスの中間宿主になった可能性があると話題になった。「水虎」が中国伝来の妖怪であることの証だろう。

玄関に飾った鍾馗さん(近江八幡市)

鍾馗さん

 鍾馗は道教の神である。親しみを込め「鍾馗様」「鍾馗さん」と呼ばれている。京都や近畿・東海地方では瓦でできた小さな鍾馗さんの人形を屋根の上にのせる風習がある。魔除けとして家の守り神として大切にされてきた。
 鍾馗はどのようにして神になったのだろう。話はさまざま伝わっているが大筋はこうだ。
 鍾馗は唐代に実在した人物だ。科挙に挑戦したが不合格となり、国に帰るのを恥じて自ら命を絶つ。当時の皇帝玄宗は手厚く葬り、鍾馗の魂は救われる。
 その後、玄宗は熱病(マラリア)にかかり、生死の境をさまよう。このとき、玄宗の夢に悪魔よりも怖ろしいバケモノが現れ、病魔をことごとく撃退した。鍾馗は魂を救ってくれた恩に報いるため、バケモノに身を変じて、玄宗を助けたのである。そして、玄宗は鍾馗の姿をかたどった神像をつくらせ、疫病除けの神として祈ったという。
  日本では、右手に破魔の剣を持ち、左手で八苦を抑えて、
周囲をにらむ姿の鍾馗が一般的だ。端午の節句の人形や屋根の上の鍾馗さんのほか、その図像も魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸の人気のモチーフとなった。
 彦根市では屋根に置かれた鍾馗さんが約70体確認されている。鍾馗さんはお寺の鬼瓦に面する屋根に置かれていることが多い。これは、鬼瓦によって払われた厄災が家に入ってこないようにするためだといわれているが、ひょっとすると、彦根はマラリア(おこり)の多い地域だったので、屋根の上の鍾馗さんに願いを託したのではないだろうか。

昔、いただいた角大師の護符

角大師

 比叡山中興の祖・元三大師良源(912~985・長浜市三川町 玉泉寺の生まれ)は、平安時代、疫病が流行したとき、自ら角を生やし鬼の姿となり疫病を追い払ったとされる。その時の姿を写した刷りものは「角大師」として魔除・厄難除の護符となっている。元三大師と呼ばれるのは、正月三日にお亡くなりになったからであり、日本の「おみくじ」の元祖でもある。
 先月、良源の生誕地とされる玉泉寺で、玄関先に貼り、コロナウイルスを撃退してもらいたいと願い、「角大師」の御札が覆刻されている。

 今回、長い文章になったが、アマビエ、角大師の次には、鍾馗さんが注目されるのではないだろうか……。

 

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