ヤマトタケルの「言挙」
長い間「どうしてだろう、何故だろう」と思っていたのは、伊吹山の白い猪のことである。ヤマトタケルは東征を全戦全勝で終え、大和への帰途、伊吹山の神(白い猪)と素手で戦い致命傷を負った。
観光パンフレットや伊吹の伝説、昔話にはヤマトタケルが伊吹山の神である白い猪(或いは、大蛇)に負けた理由を「伊吹山の神の毒気」にあてられたからと書いてある。「何故、素手で挑んだのか」、「毒気って何だろう」と思っていた。
はじめて真剣に『古事記』を読む機会を得た。
「茲(こ)の山の神は、徒手(むなで)に直に取らむ」とのりたまひて、其の山に騰(のぼ)りし時に、白き猪、山の辺に逢ひき。其の大きさ、牛の如し。爾(しか)くして、言挙為(ことあげし)て詔(のりたま)はく、「是の白き猪と化(な)れるは、其の神の使者ぞ。今殺さずとも、還(かへ)らむ時に殺さむ」とのりたまひて、騰り坐(ま)しき。是に、大氷雨(おほひさめ)を零(ふら)して、倭建命を打ち惑はしき〈此の白き猪と化れるは、其の神の使者に非ずして、其の神の正身(ただみ)に当たれり。言挙せしに因りて惑はさえしぞ〉。(『古事記』日本古典文学全集より)
「徒手」は「素手」、「言挙(ことあげ)」は「意思を言葉にして言いたてること」をいう。発した言葉には呪力が宿るが、言挙の内容に誤りがあると、呪力は逆に働く。言挙はリスクは伴うが最強の奥義のようなものだろう。
ヤマトタケルは、伊吹山の神を甘くみて油断していたわけではない。草薙剣も謀も通用しない偉大な荒ぶる神だと知っていた。故に「素手」で挑み「言挙」という手段を使った。
しかし、ヤマトタケルは伊吹山の神を使者と見誤り、「是の白き猪と化れるは、其の神の使者ぞ」と言挙してしまったため、激しい氷雨にうたれ前後不覚に陥った。言挙の呪力が逆に働き、マトタケルは致命傷を負うことになったのだ。
干支、「亥(い・がい)」に形象される動物は「猪」である。亥から子へ……。伊吹山を遙拝し、新しい年を迎えた人はどれくらいいるだろう。
日本最強の神が宿る山である。