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淡海の妖怪

『今昔物語集』より 其の一

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2019年11月15日更新

 「KBSラジオ」で月1回、「滋賀民報」は月に2回、「淡海の妖怪」を紹介する機会をいただいている。少し前、「安義橋(あぎのはし)の鬼」を取り上げた。平安時代末期の説話集『今昔物語集』巻第二十七「近江国安義橋鬼噉人語(あぎのはしのおにひとをくらふこと)第十三」に記された鬼女の話だ。簡単に記すとこんな感じである。

 近江の安義橋には、鬼が現れ通りおおせた者はいないという噂があった。お調子者で腕に覚えのある男が話の弾みで橋を渡ることになり、日が山の端近くなるころ、橋のたもと近くに着いた。遠くからは見えなかったが、橋の上の女は(この女が鬼なのだが)、薄紫の衣に濃い紫の単衣を重ね、紅の袴を長やかにはいて、手で口を覆いなんとも悩ましげなまなざしをしている。誰かに置き去りにされたかのように橋の欄干に寄りかかっていた。馬から飛び降り、抱き乗せて連れ去りたほどいとおしい気がしたが、あれが鬼に違いないと言い聞かせ、女の前を馬に鞭打ち駆け抜けた。女は「なんとまあ、つれない」と叫び後を追ってきた。男が振り向くと女の姿は、顔は朱色で大きく、目が一つ、丈は九尺ばかり、手指は三本、爪は五寸ほどで刀のよう。からだは緑青色をして目は琥珀のごとく、頭髪は蓬(よもぎ)のように乱れていた。男は無事に帰ったが、その後、鬼は弟に化けてやって来ると、男の首を食い切り、かき消すように見えなくなった。

 女の前を通り過ぎようとしたときの「なんとまあ、つれない」と叫ぶ声は、大地をゆるがすように聞こえたというから、それだけでも恐怖である。面白いのは、女の姿や鬼の異形が詳しく書かれているところだ。
 近江八幡と竜王町との境界を流れる日野川に「安吉橋(あぎばし)」という橋が架かっている。『今昔物語集』の「安義橋」と同じところに架かっているのかどうかは判らないが、地元ではこの橋を車で渡るとき、ルームミラーやバックミラーを見てはいけないと囁かれている。この世にあらざる者が映るのだという。
 橋は不思議なことがおこる異界との境界(結節点)であるといわれるように、『今昔物語集』には、他にも橋に現れる淡海の鬼の話が収録されている。
 巻第二十七「従東国上人値鬼語(とうごくよりのぼるひとおににあふこと)第十四」は、東国から京に上ろうとして来た人が勢田(瀬田)の橋を渡ろうとしたところ、日が暮れ、たまたま無住の大きな家があったので宿ることにした。世が更けた頃、人もいないのに大きな鞍櫃(くらびつ)がごそごそと音をたてて蓋が持ち上がった。もしや、ここには鬼がいて誰も住まなくなったのか……と恐くなり、這うようにして馬に鞭を入れて逃げ出すと、恐ろしい声とともに、とてつもなく大きなものが追ってきた。勢田の橋にさしかかったところで馬を降り、橋の下の柱の陰に身を潜めていると、橋の上で「どこだ、どこにいる」と鬼が何度も叫んでいる。上手く隠れられたと思っていると、「下におります」と答え、出てきた者がいた。暗いので何者ともわからない。
 安義橋の話は鬼の異形が記されていたが、瀬田の橋の鬼は闇に紛れて得体がしれない。「下におります」の声の正体も判らないだけに、安義橋の鬼よりもぞっとするのである。明るい夜を過ごせる現代はありがたい。
 DADAではしばらく『今昔物語集』に登場する淡海の妖怪について書いてみようと考えている。

参考

  • 『今昔物語集』(小学館)
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