淡海の妖怪

坂上田村麻呂編

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 東近江市 2019年9月13日更新

ハート形の猪目紋

 2019年も8ヶ月が過ぎようとしている。この話は正月にしようと思っていたのだが、今になってしまった……。 今年の干支は「己亥(つちのとい・きがい)」である。「イノシシ」ではない。
 順序や方向を現す漢字「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」が「十二支」。「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」は「十干」。「十干」と「十二支」を組み合わせ「干支」を現す。高校球児の夢の「甲子園(阪神甲子園球場)」の竣工は大正13年(1924)、干支は「甲子(きのえね・こうし)」。十干十二支の最初の組み合わせで、縁起が良い年という事もあり命名された。「壬申の乱」「辛亥革命」など、「干支」を知っていれば受験に役立つという話もある。
 十二支はそれぞれ子はネズミ、丑はウシなど生き物と対応させ、亥はイノシシ(猪)である。ハート形の「猪目紋」もいいが、淡海妖怪学波は、「伊吹山(米原市)」と「猪子山(東近江市)」に注目したい。
 古事記は神話になぞらえた歴史書である。ヤマトタケルノミコト(倭建命)は、熊襲(くまそ)を平定し、イヅモタケル(出雲建)を倒した後、父である景行(けいこう)天皇から東征を命じられる。蝦夷(えみし)を倒し東国を平定するも、伊吹山で神の毒気にあてられて重病になり、三重の能煩野(のぼの)まで辿り着いたところで力尽き息絶える。大和政権は伊吹を支配することはできなかったというわけだ。獣や鬼の名は時の政権に対立した集団勢力である。伊吹山の神は、熊襲の熊、蝦夷の蝦のごとく白い猪として語り継がれたのである。『もののけ姫』にでてくる乙事主(おつことぬし)を思い浮かべる人も多いに違いない。
 さて個人的に、能登川の猪子山はその名から伊吹山と同じ系統の神がおられたのではないかと考えている(妄想に近い)。猪の子どもは瓜に似た縞模様があるからウリ坊と呼ばれている。猪子山の神は白い毛並みに縞模様が入っていたのではないだろうか……。

猪子山・北向岩屋十一面観音(東近江市猪子町)

 猪子山は繖山(きぬがさやま)山系の東北端、標高268メートル、山頂の島帽子岩窟の奥に像高55センチの観世音菩薩石像が祀られている。北向観音(北向岩屋十一面観音)として親しまれ、石像は奈良時代に安置されたものといわれている。平安時代には坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東国平定のためにこの岩屋にこもり、観音に祈願したと伝わる。
 異説には、坂上田村麻呂が鈴鹿の悪鬼大嶽丸(おおたけまる)討伐の際、岩窟内に十一面観世音菩薩の石像を安置して折願したとある。大嶽丸は、能『田村』では、神通力を操る鈴鹿山の鬼神として登場する。
 坂上田村麻呂は、桓武天皇(在位781〜806年)に重用され二度にわたり征夷大将軍をつとめ、多くの伝説・物語を残した人物だ。ちなみに、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつである清水寺は、坂上田村麻呂が十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けた。
 だとすると……、猪子山一帯の勢力は奈良時代から平安時代にかけて時の政権に組するようになっていったのではないだろうか。
 ところで、厄除で有名な甲賀市土山町の田村神社は、坂上田村麻呂が悪鬼大嶽丸を討伐の後、「今や悪鬼も平定された。 これより後は、この矢の功徳を以て万民の災いを除くこととする。 この矢の落ちた地に私を祀りなさい」と矢を放ち、矢が落ちた場所に本殿を建てたといわれている。
 土山宿の名物「蟹ヶ坂飴」は有名だが、飴の誕生奇譚には身の丈3メートルの巨大な蟹(妖怪)が登場する。山の中に蟹とは……。この話はいずれまた。

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