淡海の妖怪

人魚

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 東近江市 2019年8月9日更新

人魚塚

 「人魚塚」(蒲生郡日野町小野)を訪れた。人魚というから豊かな水の郷を思い浮かべる人も多いだろうが、随分と山奥である。今年1月から『滋賀民報』で月2回「淡海の妖怪」について連載を書かせていただいている。其の十四が「人魚」。人魚塚へは事実確認の旅だった……。
 奇しくも「人魚のミイラ」(全長約72センチ・非公開)が存在する願成寺(東近江市川合町)から佐久良川沿いに遡ることになった。推古天皇27年(619)4月、「蒲生河に物有り。その形人の如し」と『日本書紀』にある。これが人魚の最も古い記録だという。蒲生河は、日野川または支流の佐久良川だといわれているのだ。
 願成寺の末庵に美しい尼僧が住んでいた。そこへ可愛らしい3人の小姓が毎日手伝いにくるようになった。初めは微笑ましく思っていた村人も、何処からやってくるのか気になり後をつけると佐久良川の小姓ヶ淵(東近江市蒲生寺町)に消えていった。投網を打ち捕まえてみると人魚の姿をしていた。哀れにもミイラにされ見世物として転々と人手に渡ることになる。ミイラを手にした家では、夜な夜な泣き声が聞こえ不幸がおこるので、人魚を気の毒に思う人たちの手で願成寺に安置された。
 人魚は3兄妹であり、一人は捕らえられミイラにされたわけだが、調べてみるとどうやら一人は、通りかかった弘法大師に助けられ高野山に行った。現在、和歌山の高野山苅萱堂に遺る人魚のミイラ(拝観可)だという。やっぱりミイラにされてしまうのである。
 そして残る一人は佐久良川を遡り日野町小野で、人を仇なす(害する)と後醍醐天皇(聖徳太子とする説もある)の命で殺され塚が築かれた。これが人魚塚である。また、菅原道真と関わる伝承もあるようだが調べきれなかった。
 人魚塚は三重県側が正面になっており、昔、ここを通る人が小石を投げる風習があったという……。
 日本の人魚は、マーメイドのように美しい姿をしているわけではなく、上半身はなんとなく人間で下半身は魚、ミイラは悲しみに満ちて凝視できるものではない。
 不思議なのは滋賀の内陸部の淡水に棲息する人魚だということだ。そして人魚塚は人魚棲息の限界高度だったりするのではないだろうか。人魚を調べていくと、埋もれた歴史に手が届くかもしれない。
 ところで、観音正寺(近江八幡市安土町)では草創の歴史として人魚伝説が今も語り継がれている。寺宝として人魚のミイラがあったが、平成5年(1993)焼失している。

 

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