亡霊子(ぼうこ)
亡霊子(ぼうこ)
「さらピン! キョウト」というKBS京都のラジオ番組で、4月から毎月第3月曜日の15時過ぎくらいから「淡海の妖怪」の話をさせていただいている。びわ湖畔のまち・長浜から情報を発信『長浜み〜な』(vol.137)の「彦根城下町-まちの誇りに磨きをかける-」では「妖怪は語る!」、滋賀県唯一の革新地方誌『滋賀民報』では「淡海の妖怪」について毎月第2・第4日曜日に書かせていただいている。
2020年、NHK大河ドラマは明智光秀が主人公の『麒麟(きりん)がくる』。光秀は坂本や比叡山にゆかりのある戦国武将だ。多賀町には「明智十兵衛光秀多賀出身説」があり盛り上がっている(この話は別の機会にする)。 さて、光秀は本能寺で織田信長を討った謀反人である。「名君、知将としての光秀」を顕彰することも大切なことだが、どれほど優れた武将であったとしても、戦国時代が、人が人を実際に殺戮した時代であることを、認識しておく必要があるといつも考えている。
本能寺の変の後、「亡霊子」という怪火が現れた話が伝わる。
安土城のおもだった武将はいきり立ちながら城を離れ、足手まといになるおんな子どもばかりが取り残された。いくあてもなく、ただおろおろするばかりだったという。そこへ光秀軍が、どっと攻め込み、まるで狩りでもするかのように襲いかかった。それは地獄のようだったという。
命からがら城から逃れた者たちは猪ヶ鼻に追い詰められ、「捕らえられ生きて辱めを受けるよりは、皆で死にましょうぞ」と、足を縛り子どもを胸に抱き、湖に身をおどらせ、水底へ沈んでいった。
しばらくして猪ヶ鼻の沖で不思議な青白い火の玉が出るようになった。漁師たちは湖に沈んだ魂を憐れみ、「亡霊子」と名づけ成仏するように祈った。亡霊子は漁師を慕い顔や袖に纏わり付き、振り払うとこなごなにくだけ、散らばるのだという。驚いて舟から転げ落ち、溺れ死ぬ漁師もいた。漁師たちは何とかしようと、お坊様に供養してもらったが、亡霊子は成仏する様子はなかった。
あるとき、一人の漁師が「亡霊子をひとつつかまえて、竹筒に入れて蓋をすると、湖に散らばった亡霊子も全て消えてしまう」ことを見つけた。以来、安土辺りでは舟に使う竹竿は、節より2寸ほど残しておくようになった(参考:『滋賀県の民話』 1983年)。
興味深いのは「亡霊子をつかまえ竹筒に入れれば消える」ということを発見したことである。当時の人々にとって、青白い火の玉は、つかまえてみようと試みる程度に気味悪いものであったということだ。逃げ惑うほど恐ろしいものでないことは、「亡霊子」という名をつけ成仏するよう祈ったことでもわかる。亡霊子には人恋しさに集まる懐っこさを感じるのだ。
「舟に使う竹竿は、節より2寸ほど残しておくようになった」というのも面白い。竹竿を使う舟が残っているといいのだが、安土辺りに出かけたら調べてみたい。亡霊子を入れたあとにどんな蓋をしたのか、興味津々なのである。