" />

淡海の妖怪

星鬼・蓑火・龍灯

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2019年2月4日更新

 「蓑火(みのび)」という妖怪がいる。かつて近江の大藪村(現・彦根市大藪町)辺りの湖岸に出没した怪火である。
 『百鬼解読』(多田克己著 講談社)に、明治時代の妖怪研究家井上円了の一文が引用されている。「近江の琵琶湖には不思議な火があると古老は言う。旧暦五月頃の幾日も降り続く梅雨の、ま近な景色もよく見えないほどの天気の暗夜になると、湖水を往来する船夫の簑に、まるで蛍火のようなものが点々と光を放つ」。
 江戸時代後期の浮世絵師鳥山石燕も「蓑火」を描き、「蓑より火の出しは陰中の陽気か。又は耕作に苦しめる百姓の臑の火なるべし」(『鳥山石燕 画図百鬼夜行』国書刊行会)と一文を添えている。臑(すね)とは、身体のうち、足の膝(ひざ)から踵(かかと)までのことをいう。貧乏がはなはだしいことを「臑から火を取る」と表現する。石燕は百姓の臑に火を見たのだろう。
 いずれにせよ、蓑火は江戸、明治と全国的によく知られた妖怪であった。
 更に、『犬上郡誌』(明治14年・1881)には「蓑火の古跡は大藪村にあり」とし、 その火を払へば星のように散らばり、「星鬼」というと記している。
 日本国語大辞典(第二版  小学館)には次のようにある。
ほしおにーのーひ【星鬼火】琵琶湖畔で、鬼火の一種をいう。
*俳諧・本朝文選(1706)二・賦類・湖水賦(李由)「龍灯松は、巳待(みまち)の夜毎に光をあげ、大藪の雨夜には、星鬼(ホシオニ)の火を簑にうつす」
*俳諧・風俗文選大註解(1848)二・湖水賦「大藪(略)此所むかしより今にいたる迄、雨夜に人通ればいづこよりうつるともなく火の光り、蓑にうつる傘及び袖に迄うつる誠の火にあらず、これを星鬼の火といふなり」

 『本朝文選』『風俗文選』は、芭蕉十哲のひとり彦根藩士 森川許六が編んだ俳文集である。興味深いのは「龍灯松は、巳待(みまち)の夜毎に光をあげ」というところだ。「巳待」は、己巳(つちのとみ)の夜に行う弁財天の祭りである。巳の日は12日に一度、己巳は60日に一度巡ってくる。「龍灯」は水辺の怪火であるとも、龍神の灯す神火であるとも伝わる。
 彦根で弁財天といえば大洞弁財天だ。江戸時代、大洞弁財天の側まで内湖が迫っていた。湖面に映る龍灯は美しいものでなかったのか……。
 こんな話も伝わる。
 旧東海道本線・米原~彦根間には、昭和31年(1956)11月19日に電化されるまで、短い仏生山(むしやま)トンネルがあった(単線トンネルとしての完成は明治23年)。鉄道敷設当時は、切り通しでトンネルではなかった。その後、わざわざ煉瓦を積んでトンネルにしたという。
 仏生山は大洞弁財天と尾根続きで、龍神が竹生島の弁財天のもとへ通う道筋となっていた。ところが、鉄道が仏生山の中央を切り通し、怒った龍神が、木や土砂を線路上に落下させて、鉄道の運行を妨害した。そこで、わざわざ煉瓦を積んでトンネルにしたというのだ(『日本の鉄道ことはじめ』沢和哉著・1996)。
 当時の鉄路は、現在のJR琵琶湖線より山側、滋賀県東北部浄化センターの敷地内を走っており、現在も見ることができる。米原から彦根に向かう時、少し気をつけていると、美しい煉瓦のアーチが2つあることに気づく。昭和31年まで実際に仏生山トンネルは使われていたのだから、リアルに経験した人も多いに違いない。

 さて、星鬼と蓑火である。『本朝文選』『風俗文選』からは、雨の夜の大藪に、怪火が現れ蓑にうつる。これを星鬼の火というとある。『犬上郡誌』は、蓑火を払うと星のように散らばり、これを星鬼というと記しており、現象の経緯が逆になっている。
 森川許六は江戸時代初期の彦根の俳人、鳥山石燕は江戸時代後期の浮世絵師である。犬上郡誌は明治14年(1881)に刊行されたものだ。『妖怪事典』『日本妖怪大事典』『日本妖怪大全』『水木しげるの妖怪文庫』を調べてみたが「星鬼」の記述は無かった。
 思うに「蓑火」は鳥山石燕が描き、井上円了が記すほど知名度の高い妖怪である。『犬上郡誌』が編纂される頃、人々は『本朝文選』『風俗文選』に記されていたのは「蓑火」で払えば星のように散らばり「星鬼」となると思い込んでしまったのだろう。実は、『本朝文選』『風俗文選』をよく読めば「蓑火」の名前は書かれていなければ臑の火にも触れていない。故に星鬼は淡海の妖怪なのである。
 星鬼もまた龍灯のように、俳人が好む、ただゆらゆらと火が揺れる案外きれいな風物詩くらいに感じていたのではないだろうか。

スポンサーリンク
関連キーワード