淡海の妖怪

12月8日の妖怪「魑魅」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2018年11月29日更新

東近江市能登川の勧請縄
勧請縄は、厄災や疫病などが、域内(町内・村内)に入るのを防いだり、域内から追い出すために考えられたものだ。ここにも目がある。

 12月8日といえば……、真珠湾攻撃? ジョン・レノンの命日?小説『ハリー・ポッターと賢者の石』が日本で刊行された日? 記憶は様々だけれど、この国では「大聖釈尊が三十五歳の十二月八日に暁の明星の輝く時、廓然大悟せられたので、各寺院では、成道会とか、臘八接心会(ろうはちせっしんえ)といって法要を営み」と『彦根藩士族の歳時記 高橋敬吉』(藤野滋著・サンライズ出版株式会社)に書いてあった。明治時代の彦根の様子を知るにはうってつけの本である。
 まず、「大聖」は「だいしょう」と読み、仏道の悟りを開いた人の尊称。「たいせい」と読めば、非常に人格のすぐれた聖人、徳が最も高い聖人のことをいう。「大聖釈尊」は釈迦のことをいう。「臘月」は陰暦12月の異名、「接心」は「摂心」のことだろう、「心をおさめる」ことだ。曹洞宗の「臘八接心会」では、12月1日から8日まで坐禅をする。高橋敬吉の祖父はこの日の朝早く招かれて曹洞宗清凉寺の法要に参詣したらしい。
 面白いのは、次の記述である。「此の日、天から降り来る宝物を受くるとて、屋根の上に高く目笊(ざる)を掲げる欲張った慣行があった。これも魑魅という一ツ目の怪物が禍災を持って来るから、無数の目のある笊、目龍、味噌漉し、篩(ふるい)等を高く掲げて、こちらにはこんなに沢山にめがあるぞ、と一ツ目の怪物を威嚇して追い払う」
 二つのことが書いてある。ひとつは「12月8日に、天から降ってくる宝物を受けるために、目笊を屋根にかかげる習慣があった」。二つめは「魑魅という一ツ目の怪物がやってくるから、たくさん目のあるものを掲げて怪物を撃退した」ということである。考えれば節分の豆まきと同じく、ほんとうに都合の良い風習である。宝物は受け取り禍災を排除するのである。そのアイテムが「目がたくさんあるもの」なのだ。
 高橋敬吉は「こんな馬鹿気た事は見られなくなったが、稀に田舎へ行くと、屋根の上に竿を挿した目笊が高く立ててある処もある」と書いている。だが、実は馬鹿気た事ではなく、大真面目な習慣なのではないか……、と考えている。

 まず「目」だが、これは大抵の人が想像するように「 かごめかごめ」の籠の目だ。籠の中は周囲と切り離された神聖な領域となるという考えがあり、神に通じる重宝なアイテムなのである。
 更に、昔より目籠は鬼が恐れると言い伝わる。籠は竹や籐を編んで作るが、底のデザインが安倍晴明の九字、五芒星になっているからだという。目笊、味噌漉し、篩など、晴明九字になっていないものもある。疑問も残った。
 調べていたら、面白い話を見つけた。五芒星はひと筆で書くことができる。始点と終点が同じである。邪悪な者はこの形をなぞり続けて力を費やしてしまうというのだ。五芒星でなくても、籠や笊の線をなぞることに集中し、邪悪な者はそのうち疲れてしまうのだ。或いは、竹で編んであるものは、交互起伏があるから念を入れて数える間に力を失うともいう。節分の夜の豆まきも、鬼が無数の豆を数えている間に、邪力が衰えるらしい。
 12月8日の魑魅は悲しい。一年に一度、注目されて登場するが、そこには笊や籠が屋根に掲げられ、目を数えなければよいものを、籠の線をなぞらなければよいものを、どうしても気になるのだろう。今年こそは、そういうのを止めるぞと思っても性である。節分の鬼も同じだ。豆を数えてしまうのである。
 最近では、12月8日に笊や籠を高く掲げることをはなくなった。節分にも豆をまく家は少なくなった。
 ということは……。彼らは「来る」のである。

 

スポンサーリンク
関連キーワード