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淡海の妖怪

油坊主(金剛輪寺)

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 愛荘町 2018年11月13日更新

 金剛輪寺の本堂「大悲閣」は「弘安一一年(一二八八)一月建立」の銘が須弥壇にあり鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。1964年東京オリンピックが開催されたとき、文部省は世界に誇る日本の建物として「大悲閣」の模型(スケール1/10)を製作し、東京国立博物館に展示した。金剛輪寺は、国宝・重文の宝庫である。三重塔・二天門・木造阿弥陀如来坐像(二躯)・木造十一面観音立像・木造不動明王立像・木造毘沙門天立像・大黒天半跏像、銅磬など、多くの重要文化財を有している。また、頭上に冠を戴き、甲を着けた忿怒の相の木造大黒天半跏像(金運の神)は平安時代の作で、日本最古のものである。今年は12月9日(日)まで、特別公開されている。
 紅葉の季節、多くの人々がこの寺を訪れるだろうが、「油坊主」と呼ばれる妖怪が参道に現れることを知る人は少ない。金剛輪寺の七不思議のひとつにこんな話がある。
 昔、この寺に若い坊さんがおり、本坊から本堂まで長い石段を登って、朝事、夕座のおつとめをしていた。朝事の前に、本堂の灯明をつけに行くことは辛い修行であった。冬、種油を壺から油さしに移し、雪の積もった石段を登るのは苦行であったに違いない。若い坊さんは、毎日毎日定められたように油を本堂へ運んでいるだけでは面白くない。ある日、本堂のたいせつな灯明油をくすねて商人に売り、できたわずかな金を持ち、町へ遊びに行った。その後、ふとしたことから原因不明の病気になり、苦しみ、もだえ死んでしまった。そうしたことがあってから、毎夜毎夜、金剛輪寺の総門あたりで「油かえそう。油かえそう。わずかのことに、わずかのことに……」、という悲痛な声が聞こえ、観音堂までの坂道を、ひょろひょろ歩いて行く黒い影法師が現れるようになった。その手には油をもっているのだという。
 一般的には油坊(あぶらぼう)という妖怪はよく知られている。『日本妖怪大事典』(角川書店)によれば、「滋賀県野洲郡欲賀村(守山市欲賀町)でいう怪火。晩春から夏にかけての夜に現れるという。火炎中に多くの僧形が見えるのでこの名前がある。比叡山の灯油料を盗んだ僧の亡魂が化したものという。また、比叡山の西麓に夏の世に飛ぶ怪火も油坊という」とある。
 油坊は怪火だが、油壺を手に持つ黒い影法師というのは、金剛輪寺にだけ出没する妖怪だろう。
 参道の長い坂道を登りながら「油かえそう。わずかのことに……」と唱える油坊主を想像してみたい。

参考 『近江むかし話』「金剛輪寺の七不思議」より/ 洛樹出版社)

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