" />

淡海の妖怪

一つ目小僧

このエントリーをはてなブックマークに追加 2015年2月19日更新

 日本人は、昔から自然と共に暮らしながら、「理解できない」「あやしい」「不思議」な現象に名前を与えて、妖怪を生み出してきた。それは人が生きていくための知恵と想像力のたまものだった。不思議な現象を妖怪の仕業として理解(納得)し、また、妖怪の威をかりコミュニティの禁忌を守り、子どもたちの躾も妖怪の名を唱えながら、暮らしを豊かなものにしてきた。爆発的に人気を博した「妖怪ウォッチ」も、同じ理由で次々に新しい現代の妖怪を生み出しているのかもしれない。
 ただ、かつて妖怪はあの世とこの世の間に存在し、向こう側とこちら側を繋ぐ存在であり、明と暗の間の曖昧な部分の住人だった。雪女がそうであったように、妖怪人間ベム、ゲゲゲの鬼太郎もまた、そのルールを守って墓場に住み、人と交わらぬよう一線を引いてきた。雪女のような悲しくはかない物語が生まれるのも、人と妖怪のそういう在り方故である。
 「妖怪ウォッチ」も、「あやしいもの」や「あやしいこと」など、不条理な現象を妖怪と捉えている点において、伝統的妖怪と違いはないのかもしれないが、その上で、「妖怪と友達になることができる」という新しい世界観を描いている画期的なアニメなのである。
 20世紀末、僕らは「淡海妖怪学波」として、地域の妖怪コレクションを始めた。それは現代に誕生した妖怪ではなく、その地域だけに語り継がれる昔話に登場するような古典的妖怪たちである(現代の妖怪も既に古典だが)。時々、昔の妖怪のことを思い出してやらないと、絶滅してしまうから…、そんな理由からである。
 過日、『彦根ゴーストツアー「鬼の残滓を巡る」』の章に参加した。息長氏縁の地や、金太郎伝説が語り継がれる長浜の西黒田を巡るツアーだ。鬼と製鉄、そして製鉄と息長氏の関係はまた別の機会に話すとして、金太郎伝説の西黒田が面白い。
 金太郎は、平安時代中期、天暦9年(955)に近江国坂田郡布勢郷に生まれた。金太郎の出自は明らかではないが、当時この地に勢力のあった息長氏の一族といわれている。この地は製鉄業が盛んで、青年となった金太郎は鍛冶屋で働くことになり、「金の文字の腹掛け」「赤い肌」「鉞(まさかり)」のイメージが生まれたという。
 そして、20歳となった金太郎に転機が訪れる。天延4年(976)、旧暦3月21日、上総守の任期を終え、黒田海道を上京中の源頼光が足柄山にさしかかったとき、金太郎は頼光の目にとまり家来となった。上京後、金太郎は名を坂田金時と改め、頼光のもと様々な手柄をたててゆく。
 そして、正暦5年(994)、金太郎が住んでいた村の人々を苦しめている、伊吹山の山賊をついに退治し、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光とともに、頼光の四天王と称されるまでになる。
 伝説の真偽は別として、西黒田には製鉄の痕跡が少なからず残っている。「灰原」「タタレン」「穴伏」「焼尾」などの字名。鍛冶屋が軒を連ねていたという布施町の鍛冶屋場庄司(かんじゃましょうじ)など。後鳥羽上皇が佐々木定綱を奉行に鍛冶番匠を従えて名刀を打たせたという記録も残っている。
 鍛冶屋場庄司を歩いていた時、単眼・一本足の妖怪「一本ダタラ」が話題になった。製鉄・鍛冶に深い関わりを持つ妖怪だからである。単眼の鍛冶神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」に由来するともいわれている。また、鍛冶は炎を見続け、鍛錬の火花が目に入ることもあり失明することも多く、単眼の妖怪が生まれる理由とされてきた。「一つ目小僧」も製鉄や鍛冶由来の妖怪と考えることができる。
 鍛冶屋場庄司には、「一本ダタラ」や「一つ目小僧」の伝承は発見されていないが、僕はその時、彦根市の観音堂筋の「一つ目小僧」を思い出していた。『高橋敬吉 彦根藩士族の歳時記』(藤野滋編・サンライズ出版)に、一行にも満たないが「一ツ目小僧が徳利さげて酒買いに」というフレーズがある。観音堂筋は、現在の北野寺を北に向かう通りだ。この本は、彦根藩士族の家に生まれ井伊家家庭教師となった高橋敬吉が大人になるまで彦根で暮らした明治10〜20年代の彦根の風俗習慣など様々な記憶が綴られている。
 「一つ目小僧」がどうして彦根にいるのだろう……。
 彦根の長曽根、湖からほど近いところに「乕徹淬刀水」(こてつさいとうすい)という井戸がある。乕徹とは、長曽根虎徹のことで、有名な江戸初期の刀鍛冶だ。伝承では甲冑師だった虎徹が刀鍛冶に転向する際、一族縁の地で修業に打ち込んだ場所だという。
 また、石田三成が佐和山城主だった頃、長曽根村は彦根山の西麓付近にあった。十三鍛冶といい刀鍛冶の家が13軒、石田氏の御用を務めていた。虎徹の父もそのひとりだった。関ヶ原の合戦後、また江戸幕府成立後、彦根の城下町の町割が行われた際、十三鍛冶は「御潰し」の憂き目にあい、現在の長曽根が換地として与えられたが、不満に思う者もおり、幼かった虎徹も父に抱かれて越前に移り住んだという。
 観音堂筋は、彦根山の西麓付近にあり、「乕徹淬刀水」の井戸とも近い。この辺りに「一つ目小僧」がいたとしてもおかしくはないわけである。
 淡海の製鉄や鍛冶の縁の地を詳しくみていくと、個性的な「一つ目小僧」に出会えるかもしれない。楽しみである。

スポンサーリンク