「大河ドラマ」を含む記事一覧
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2021年6月17日
湖東・湖北 ふることふみ 81
『彦根城総構え400年』(二) まち・文化奥山氏居館跡(浜松市北区引佐町奥山) 大河ドラマには大きな功罪がある。通常では注目されない人物をも描くことで世の中に周知される功。その反面、ドラマに登場しなかったために重要性が失われる誤解を招く罪。近年では『麒麟がくる』が後者であり、『真田丸』は前者だった。 平成29年(2017)の大河ドラマ『おんな城主... 続きを読む
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2021年1月4日
渋沢栄一と大東義徹 まち・文化
2021年NHK大河ドラマは「青天を衝け」、主人公は「渋沢栄一」。2024年に新1万円札の顔となる人物でもある。 「事業が正業であるならば公益と私益とは一致し、商人を国家を裕福にする実業家と位置づけ、企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任... 続きを読む
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2019年8月2日
「明智光秀」は多賀町出身!? まち・文化
十兵衛屋敷跡から明智丸をのぞむ 2020年のNHK大河ドラマは『麒麟がくる』。智将・明智光秀が主役で、従来とは異なる新しい解釈で、その謎めいた前半生に光があてられるという。光秀が築いた「坂本城」や一族の墓のある「西教寺」がゆかりの地として有名だが、新たに光秀公の出身地と名乗りを上げたのは犬上郡多賀町佐目... 続きを読む
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2018年2月9日
明治維新150年 其の一 まち・文化
天寧寺の大東義徹顕彰碑の書は日下部鳴鶴が揮毫。鳴鶴は彦根藩士であり明治の三筆、近代書道の確立者の一人である。 かつてDADAジャーナルでは湖東・湖北に遺る近代化遺産を記してきた。文化庁によると、近代化遺産とは、「幕末から第2次世界大戦期までの間に建設され、我が国の近代化に貢献した産業・交通・土木に係る建造物... 続きを読む
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2015年11月17日
湖東湖北ふることふみ15
井伊家千年の歴史(1) まち・文化井伊共保出生の井 2007年の大河ドラマは井伊直虎が主人公となる『おんな城主 直虎』に決定した。大河ドラマの長い歴史の中で、徳川家や源氏平家など特定の時代の最高権力者以外で同氏から二人の主人公を輩出したのは井伊家が初めてとなる。一部のゲームユーザーからはよく知られた人物でもある直虎だが、一般的な知名度は皆無... 続きを読む
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2014年11月17日
黒田武士と彦根市甘呂町 まち・文化
唐突だが、『黒田武士と彦根市甘呂町』という話だ。丁度この間、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に「日本号」が登場していたらしい。 「日本号」とは、黒田節「酒は呑め呑め呑むならば/日本(ひのもと)一のこの槍を/呑みとるほどに呑むならば/これぞまことの黒田武士」の歌詞がよく知られている日本一の槍のことで、天下三槍の一筋「日... 続きを読む
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2013年10月21日
彦根も盛り上がるかもしれない「黒田武士と日本号」 まち・文化
天九郎俊長淬刃之水(天の井) NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』。ドラマの主人公黒田官兵衛(1546~1604年)のルーツを巡り、長浜市や米原市が盛り上がっている。今回は彦根も「黒田武士」で盛り上がるかもしれないという話である。 彦根市甘呂町に「天九郎俊長淬刃之水(てんくろうとしながさいとうのみず)」という石... 続きを読む
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2013年1月30日
湖北の地で黒田官兵衛を思う その弐
黒田氏発祥の地・木之本町黒田 まち・文化2014年に放映される大河ドラマの主人公、黒田官兵衛。彼に連なる黒田氏の出自がどこかには諸説あり、議論の種になっている。しかし近世福岡藩主となった黒田氏の子孫が認めたのが、近江国伊香郡黒田村(長浜市木之本町黒田)なのだ。 黒田郷のほぼ中央に建つ集会所の左隣が黒田氏旧縁之地もしくは、黒田家始祖御廟所とでもいう場所にあ... 続きを読む
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2012年6月6日
大河ドラマと北近江
写真で伝える小谷城 まち・文化昨年の大河ドラマの主人公・江の出生地と伝わるのが、小谷城である。江の曽祖父・浅井亮政が大永年間(1521~1528)に築城し、父・長政の代の天正元年(1573)に羽柴秀吉ら織田信長軍に攻められ、小谷は落城、長政は自刃した。 開催中の長浜戦国大河ふるさと博では「小谷城址ガイド語り部の会」の79人が、交代制で城跡... 続きを読む
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2012年5月23日
大河ドラマと北近江 まち・文化
戦国大河ながはま館にて館長の箕浦茂光さん 『51作ある大河ドラマの中で、一番多くとりあげられた時代は戦国時代。その数は20作品になります。日本の歴史を動かした三英傑といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。三人は大河ドラマに何度も登場しますが、中でも徳川家康は最多となる19回も登場。秀吉は16回、信長は14回。また、三... 続きを読む
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2012年3月30日
大河のふるさとを巡る
大坂城の遺構 竹生島唐門 まち・文化竹生島 1996年のオーストリアである発見があった。エッゲンベルグ城に飾られていた壁画が、豊臣時代の大坂を描いた屏風絵だったことが判明したのだ。そこには大坂城の様子も詳しく描かれており、本丸と二の丸の間にかかる「極楽橋」が見てとれる。極楽橋はちょうど400年前の慶長元年(1596)に建造され、慶長5年(16... 続きを読む
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2012年1月16日
あれこそ聞こえ候ふ竹生嶋にて候へ
白龍現る! まち・文化
源平ゆかりの地—竹生島平家の台頭から没落までを書いた「平家物語」(巻7)に、竹生島を舞台にした話がある。平経正(つねまさ)が、木曽義仲討伐に赴く道中に竹生島を訪れる「竹生島詣」だ。経正は平清盛の甥で、平家一門のなかでも詩歌管弦に優れ、琵琶の名手として知られた人物だ。 ——木曽義仲討伐のために、平家の兵たちは北陸を目指していた。隊の将... 続きを読む
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2012年1月2日
源頼朝が戦勝祈願した「旗神さま」 まち・文化
源平ゆかりの地 豊満神社祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ 愛荘町の豊満神社 平家の栄枯盛衰を描いた平家物語の冒頭である。学生の頃、暗記した人も多いだろう。物語のなかで、死の... 続きを読む
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2011年12月19日
歴史に二人の源義経あり! まち・文化
「歴史に二人の義経あり!」平家打倒の最大の労を功したのは「源(九郎)義経」、そして、彼とほぼ時期を同じくして活躍したもう一人の義経がいた。湖北出身の「源(山本)義経」である。 聞くところによると、九郎義経は源義家の子孫で、源平の合戦で華々しく登場し、悲劇の最期を遂げた英雄である。一方、山本義経は義... 続きを読む
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2011年4月29日
江展望 2011
三姉妹の祖母 阿古のふるさとを訪ねる まち・文化理覚院本堂と観音堂 浅井長政の母は「阿古(あこ)」という。江ら三姉妹の祖母である。高時川の中流、長浜市高月町井口が阿古の故郷だ。 阿古の父である井口弾正経元(いのくちだんじょうつねもと)は、浅井家に仕える武将で、現在の富永小学校一帯に屋敷を構え、近くの真言宗豊山派の寺、理覚院は井口氏の菩提寺である。 「経... 続きを読む