「浅井三姉妹」を含む記事一覧
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2012年7月2日
博覧会はバスに乗って まち・文化
この季節に山登りをするなら、私は、たどりついた頂上でビールを飲みたいと考えるタイプである。賤ヶ岳や小谷城跡は何度となく登ってきたが、最寄駅からのアクセスが少々不便なので叶わないと思っていた。 ところがである。「戦国大河ふるさと博」の会期にあわせ、各会場を巡回するバスが走っているのだ。「戦国バス」「七本槍バス」... 続きを読む
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2011年6月6日
江展望 2011
多賀大社の梵鐘に猿夜叉の刻印 まち・文化浅井猿夜叉の名が刻まれた梵鐘(写真提供: 多賀大社) 鐘楼 江たち浅井三姉妹の父、長政は幼名を猿夜叉といった。多賀大社には、浅井猿夜叉の名が刻まれた梵鐘が、参集殿のそばの鐘楼に吊るされている。梵鐘が奉納されたのは、天文24年(1555)のことだ。当時社内にあった不動院の初代住職・祐尊の呼びかけに応... 続きを読む
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2011年5月16日
江遠望 2011
彦根城天守・西の丸三重櫓 まち・文化彦根城天守 慶長5年(1600)、関ヶ原合戦後、井伊直政は徳川家康より、石田三成の佐和山城と18万石を与えられたが、慶長7年(1602)関ヶ原での戦傷がもとで亡くなった。彦根城と城下町の建設は、彦根藩主第2代直孝の時代で、家康の命により天下普請で行われ、慶長9年(1604)に始まり、20年近い歳月を経て完成... 続きを読む
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2011年5月11日
余呉にぴったりのスイーツ お店
居川屋さんの「かりんとう饅頭」 大河ドラマの「江」の初回で、幼い江が饅頭をほおばって、馬にも食べさせる場面があった。あんこを馬に食べさせて大丈夫なのかという余計な心配をしていた頃、噂を聞いたのが余呉に本店をもつ和菓子店「居川屋」さんの「かりんとう饅頭」だった。すぐに売り切れてしまうそうだ。 小ぶりの饅頭を... 続きを読む
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2011年4月29日
江展望 2011
三姉妹の祖母 阿古のふるさとを訪ねる まち・文化理覚院本堂と観音堂 浅井長政の母は「阿古(あこ)」という。江ら三姉妹の祖母である。高時川の中流、長浜市高月町井口が阿古の故郷だ。 阿古の父である井口弾正経元(いのくちだんじょうつねもと)は、浅井家に仕える武将で、現在の富永小学校一帯に屋敷を構え、近くの真言宗豊山派の寺、理覚院は井口氏の菩提寺である。 「経... 続きを読む
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2011年4月15日
江展望 2011
三姉妹の兄弟・万菊丸を知る まち・文化福田寺 浅井御殿 大河ドラマでは触れられていない、江の兄弟についての話がある。歴史の断片の数々が繋がる瞬間を期待しながら、大河ドラマから始まり深まってゆく興味を、湖北を歩きながら紡いでいる。春……、長澤御坊福田寺に至った。 『寛政重修諸家譜』の藤原氏浅井系図によると、浅井長政には万福丸と万寿丸(万菊丸とす... 続きを読む
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2011年3月31日
江展望 2011
米原・徳源院にて、初と京極高次 お店手前の白い石廟が京極高次の墓 浅井三姉妹のうち、三女の江は二度の結婚を経て徳川家へ、長女の茶々は豊臣秀吉に嫁ぎ、次女の初は18歳で京極高次と結婚している。江や茶々の結婚は、三姉妹の保護者役であった秀吉の政略が垣間見えるが、初と高次はどのような結婚だったのか気になっていた。 京極高次は、浅井長政の姉・京極マ... 続きを読む
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2011年3月21日
江展望 2011
三姉妹の小谷城脱出ルートをたどる —こじき坂の伝承— まち・文化谷間のこじき坂 浅井三姉妹が生まれ育った小谷城は織田信長軍の攻撃により落城し、浅井長政は城内で自刃、長政の妻市と三姉妹は城外へ逃れた。母子の行き先には諸説あり、信長の居城・岐阜城とも、信長の弟の居城があった伊勢だともいわれている。近江には、三姉妹は旧浅井町平塚の実宰院(当時は実宰庵)にかくまわれたという説が... 続きを読む
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2010年12月27日
2011 江遠望
新年を小谷寺で迎える まち・文化如意輪山小谷寺 来年1月9日から大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が始まる。主人公の江は、北近江の武将浅井長政と織田信長の妹・市の三女で、姉の茶々・初とあわせて浅井三姉妹と呼ばれてきた。 浅井氏の居城・小谷城は、三姉妹の生まれた場所で、ドラマでは現地ロケも行われた。その登山口近くにあるのが小谷寺だ。小谷寺は元... 続きを読む