「水攻め」を含む記事一覧
-
2019年7月11日
湖東・湖北 ふることふみ 58
肥田城水攻め(後編) まち・文化江戸期の肥田の堤防 高い堤防に囲まれて、水が容赦なく襲いやがて建物の中にいても床下の水に悩まされるようになり櫓などの高い所に人々が集まって外を見ながら怨嗟の声を上げる……。多くの方は水攻めに対しこのようなイメージを持っているのではないだろうか? 関東で唯一であり日本最後の水攻めとなった忍城水攻めを描いた映... 続きを読む
-
2019年6月14日
湖東・湖北 ふることふみ 57
肥田城水攻め(中編) まち・文化肥田城水攻め堤防址 永禄2年(1559)4月3日から始まった肥田城水攻めの詳しい経緯を知る手掛かりはほとんど残されていない。数少ない情報から考察すると、堤防を築き宇曽川と愛知川の水を流し込んだ六角軍は城を囲んだまま安食に本陣を置く。そのまま戦いを仕掛けることはなくこう着状態となる。水を留めるということは大き... 続きを読む
-
2019年5月10日
湖東・湖北 ふることふみ 56
肥田城水攻め(前編) まち・文化肥田城跡の碑 六角氏と京極氏の境目の城として時には攻撃を受けながらも、高野瀬氏は肥田城で着実に基盤を築いてゆく。そして宇曽川の水運を利用した発展を遂げ肥田城周辺には城下町も形成されていた。 戦国時代、北近江の京極氏は浅井亮政に実権を奪われ保護下に入る。亮政の子久政は六角義賢に従うことで北近江の安定を図り息... 続きを読む
-
2011年3月11日
江展望 2011
江誕生13年前、浅井長政、野良田表の戦いに勝利す まち・文化城壁をイメージしたという「高橋」 国道8号線から聖泉大学方面へ向かう道中に「高橋」がある。欄干の上部が瓦風の造りになっている。橋を管理する県に尋ねると、城壁をイメージしているという。橋を南に渡った肥田町に、かつて肥田城があったことにちなんでいるそうだ。 肥田城は浅井長政にゆかりある城である。 江北を領... 続きを読む