「石田三成」を含む記事一覧

  • 2010年2月15日

    百間橋の記憶 まち・文化

    又十屋敷に残る「百間橋」の柱  豊郷町といえば、日本各地で活躍した近江商人を数多く輩出している地として知られている。そのひとりが藤野喜兵衛喜昌(きへいよしまさ)である。幕末、12歳で単身北海道へわたった喜兵衛は呉服店に見習いとして住み込み、その後「柏屋」という屋号と「又十」の商標で独立開業する。そのかたわらで...  続きを読む

  • 2010年1月26日

    始まりは母の本棚から…… ひと
    佐和山城郭研究会代表 田附清子さん

    田附清子さん。DADA編集室にて。携帯電話には石田三成の旗印「大一大万大吉」のシールが貼ってある。  石田三成に恋をした女性に会った。恋したというより愛したと言った方が正しいかもしれない。そして、その恋も愛も現在進行形である。毎年元旦の朝、田附清子(たづけすがこ)さんは家族と共に佐和山に登る。佐和山城郭研究会代...  続きを読む

  • 2009年11月11日

    成菩提院に遺された三成の掟書 まち・文化

    成菩提院  石田三成の生誕地から比較的近い場所で生まれ育ったせいだろうか、三成は私にとって身近な歴史上の人物、だった。少年時代の三成が秀吉を気遣った三杯の茶のエピソードは、繰り返し聞く昔話のようなものだ。ただ佐和山城主としての三成については長く知らずにいた。  佐和山城主、三成がどのように民政を進めていこうと...  続きを読む

  • 2009年10月11日

    佐和山城天守の行方 ひと
    城郭研究家 長谷川博美さん

    「澤山城図」滋賀県犬上郡多賀町多賀大社蔵「多賀大社社頭絵図」(写真提供 長浜市長浜城歴史博物館) 佐和山城遺跡出土 焼印木片(写真・説明 長谷川博美) 彦根城天守木材に墨書された「チキリ」符牒と同種と思われる「チキリ」紋様の焼印のある木片が、佐和山城遺跡の土中より発掘されて、発掘現場事務所のトレーの中に...  続きを読む

  • 2009年7月12日

    レキジョのための基礎知識 3
    石田三成「像」を巡る旅 まち・文化

     戦国時代、近江を制する者は天下を制すといわれていた。特に、信長や秀吉をはじめ、多くの武将たちが手を伸ばした湖北地域だが、やっぱり石田三成の存在感が大きい。敗軍の将でありながら、後世に語り継がれるだけの何かを持った人物だったのだろう。  現在でもそのカリスマ性は強く、像が建てられている場所は思いつくだけで4箇所あり、一...  続きを読む

  • 2009年4月26日

    レキジョのための基礎知識 1
    石田町を歩こう! まち・文化
    長浜市石田町

    石田会館はかつての三成屋敷跡に建てられている。 石田会館の敷地内には三成の銅像がある。  今、10代から20代の若い女性を中心に、戦国時代が一大ブームである。  長浜市石田町を訪ねたときのことだ。石田町は関ヶ原の合戦で、西軍を率いた戦国武将・石田三成の出生地として知られている。カメラを片手に独り、路地裏...  続きを読む