「平清盛」を含む記事一覧
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2012年3月19日
平清盛、運河計画 まち・文化
平安末期の久安6年(1150)頃、平清盛は、嫡男で越前国司であった長男重盛に命じ、敦賀と琵琶湖を結ぶ運河開削計画を実行したと伝わる。塩津海道(街道)深坂峠に運河を掘ることで、越前側の笙の川、近江側の塩津大川が結ばれ、敦賀港から塩津港まで約25㎞の水路が完成すれば、物資の運搬がスムーズになる。そんな計画だった。 ... 続きを読む
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2012年1月16日
あれこそ聞こえ候ふ竹生嶋にて候へ
白龍現る! まち・文化
源平ゆかりの地—竹生島平家の台頭から没落までを書いた「平家物語」(巻7)に、竹生島を舞台にした話がある。平経正(つねまさ)が、木曽義仲討伐に赴く道中に竹生島を訪れる「竹生島詣」だ。経正は平清盛の甥で、平家一門のなかでも詩歌管弦に優れ、琵琶の名手として知られた人物だ。 ——木曽義仲討伐のために、平家の兵たちは北陸を目指していた。隊の将... 続きを読む
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2012年1月2日
源頼朝が戦勝祈願した「旗神さま」 まち・文化
源平ゆかりの地 豊満神社祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ 愛荘町の豊満神社 平家の栄枯盛衰を描いた平家物語の冒頭である。学生の頃、暗記した人も多いだろう。物語のなかで、死の... 続きを読む
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2011年12月19日
歴史に二人の源義経あり! まち・文化
「歴史に二人の義経あり!」平家打倒の最大の労を功したのは「源(九郎)義経」、そして、彼とほぼ時期を同じくして活躍したもう一人の義経がいた。湖北出身の「源(山本)義経」である。 聞くところによると、九郎義経は源義家の子孫で、源平の合戦で華々しく登場し、悲劇の最期を遂げた英雄である。一方、山本義経は義... 続きを読む