平安末期の久安6年(1150)頃、平清盛は、嫡男で越前国司であった長男重盛に命じ、敦賀と琵琶湖を結ぶ運河開削計画を実行したと伝わる。塩津海道(街道)深坂峠に運河を掘ることで、越前側の笙の川、近江側の塩津大川が結ばれ、敦賀港から塩津港まで約25㎞の水路が完成すれば、物資の運搬がスムーズになる。そんな計画だった。 ... 続きを読む
平成のDADA Journal article 未解決ベスト3
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