ソラミミ堂

邂逅するソラミミ堂43 大人だまし

このエントリーをはてなブックマークに追加 2019年11月22日更新

イラスト 上田三佳

 子どもは未来である。だから「子どもだまし」というのは「未来だまし」ということである。
 未来をだます、なんてことができるのだろうか。
 こないだも、地球の明日のことで「未来だまし」をしていたのがバレて、世界じゅうの国ぐにからあつまったおおぜいの大人たちが、地球に対する大人のしわざをみるにみかねて、学校をやすんではるばる会議にかけつけたひとりの女の子からひどくしかられた(※1)。
 しかられているのはじぶんたちなのに、じぶんをしかった女の子に向けて、大人たちは、拍手かっさいしていた。
 大人たちは、きのうまでに相手がしてきたことを持ち出して、おまえが悪い、あんたが悪い、あいつが悪い、こいつも悪い…とやりあっているうちに、おたがいにあやまることも、じぶんでじぶんをしかることもできなくなってきていたので、そこへ未来がおしかけてきて、みんなまとめてしかってもらえたので気持ちよかったのかもしれない。
 もちろんすなおにしかられているばかりでなくて、反発したり、ムキになっておこったりする人もいた。「感心なおじょうさん! あとはわれわれ大人にまかせて、学校へもどってしっかり勉強しておいで」とひんやりわらって彼女のことを「子どもあつかい」する人もいた。
 それを見ていて「〝大人になったらわかるよ〟と子どもに対して言うような大人にだけはなりたくない」とある人が言っていたのを思い出した(※2)。
 「大人になるまで生きていること」。それが夢だと語る子がいる。大人になれる明日がある、ということを信じきれない子どもらがいる今日にしておいて「大人になったらわかる」だなんてそれこそ「子どもだまし」だ。
 そもそも自分が子どもだったころのことをわすれて「大人になったらわかるよ」という、その場しのぎが通用すると思いこんでいる大人のほうがよほどコロリとだまされているのであるから、大人をあざむくていどのそまつなうそを「子どもだましだ」なんて言うのは子らに対して失礼だ。
 「大人だまし」は地球にも子どもたちにも通用しない。

参考

  1. 国連気候変動サミットでのグレタ・トゥンベリさんの演説
  2. 詩人の工藤直子氏のいずれかの著書、書名は不明
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