山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り 「シソミソ」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 2020年7月8日更新

6月中頃の赤シソ。梅雨明けごろがシソミソにも梅干しにも最適だ。

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(93)和子さん(92)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。今回は、「シソミソ」。
 「シソミソ」は赤シソと味噌で作る保存食だ。喜平さんにとっては幼いころから慣れ親しんだ味でも、現在は作ることは殆んどなくなったと言われる。平成23年、喜平さんが伝統食を研究する人に教えた際の資料が残っているので作り方を紹介しておく。
 赤シソの葉(約100g)を水洗い後、絞って水を切り、細かく刻み(フードプロセッサーを使うと便利)、味噌(180~200g)と砂糖(5~10g)を一緒に粘りが出るまで練り合わせ、板に1・5㎝ほどの厚みに伸ばし広げ、3~4日間天日干しにする。途中で一度裏返す。押してみて指の跡が残らないくらい、持ち上げて形が崩れないようになれば良い。
 出来上がると3㎝角くらいに切り分けて保存する。紙に包んで冷蔵庫に入れればさらに乾燥できるが、「硬さは好みやな」と。あまりかたすぎてもいけない。赤シソが育ち、晴天が続く梅雨明けごろによく作られていたそうだ。
 かつて喜平さんの母・小春さんは、味噌を天日干しするのに木製の鍋蓋を使われたが、現代では見かけなくなった。それでも「板は水分を吸うし味噌がくっついて、木でないとあかんな」と喜平さんは専用の丸い板をこしらえて使っている。丸い形は虫よけに被せる金網にも都合が良いように作ってある。
 「シソミソは山仕事で一番よう食べた」。古橋では盆を過ぎると山で下草を刈って田の肥料にする「刈干し(かりぼし)」が行われ、一年の内でも最も多く山へ行く時期となる。「山で食うたら何でも旨いけど、シソミソを竹串にさして焚火であぶるとほら旨いで」と懐かしそうだ。普通の味噌も柿の葉やバランに包んで持っていき、焚火であぶったこともあったそうで、この時は味噌を割り木に塗り付けてあぶる。木の種類によって味が変わり、これもまた旨かったそうだ。
 喜平さんは、「山で味噌をあぶるとジャ(蛇)が出ると言われたんや。味噌のにおいにつられてジャが寄って来ると言うよりも、味噌を焼くのがもったいない、のんびり昼飯を食うてたらあかんという戒めやったと思う」。山仕事へ行くこともなくなったと言いつつ、山で食べた弁当が旨かったという思い出を話す喜平さんは、その時々に交わされた何気ない会話、そこで行なった色々なことを鮮明に記憶しておられる。それを教わって何かに活かせる訳ではないが次々聞きたくなってしまう。

 喜平さんが作った資料には、シソは既に縄文時代には利用されており、岩手県で約2500年前の遺跡から出土した種子を栽培すると、緑色の混じった赤シソに育ったこと、「紫蘇」という名前は、中国の後漢末、食中毒でひん死の若者に、紫の草を煎じた薬を飲ませると生き返り、草の紫が蘇生させたことから「紫蘇」と名付けられたこと、また古くは種子は薬用と製油の原料として用いられたことなどが書かれている。
 最近では、青ジソを「オオバ」と呼び、薬味などに人気があり一年中スーパーで見かけるが、赤シソは見なくなったように思う。喜平さんは「赤シソは梅干しを漬けるくらいしか用はないな、その梅干しを漬ける人も少のうなったやろ。シソミソは食卓には無くなったけど、しょうが味噌は毎日食べてるで」と。
 興味をそそられたので、しょうが味噌の作り方も教わった。几帳面な喜平さんらしいと思ったそのままを紹介する。
 「スーパーなどで売られている生姜は大体100g。皮をむいてきれいにすると80gくらいになる。すりおろして、1・5倍(160~200g)の味噌に混ぜて出来上がり。しばらくなじませてからでも旨いけど、ウチはなくなると継ぎ足し継ぎ足しするんや。保存は常温やで」、である。試してみると、結構いける!

 

光流

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