山の湯と中島宗達

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2019年10月8日更新

「山の湯」の煙突

 気になっていたのは「元御殿医」だった。
 彦根市中央町の「山の湯」という銭湯が廃業した。前を通る度に、久し振りに入ってみたいと思うことすら叶わなくなった。
 『新修 彦根市史 民俗編』の「生活誌」276頁にY湯として載っている。

「創業は明治十二年(一八七九)。」、「創業者である三谷岩吉は彦根のキリスト教会の草分けの一人となった人物として知られる。渡世人であった前非を悔い改めて、それまで経営していた遊郭を廃業、そのときに失業した老人に職を与えるために湯屋を始めることにしたという(『彦根教会創立百年誌』)。また、この銭湯で有名なのは薬湯のあることだが、その薬湯成分の配合はお城の元御殿医に教えられたものと伝えられている」。

 元御殿医? 誰なんだ? と気になったのだ。結論からいうと中島宗達という人物だった。
 『彦根の先覚』(彦根市立教育研究所)によると宗達は、井伊家の奥医師であった。大政奉還の後、27歳で横浜に留学。ヘボン式ローマ字の創始者で知られるアメリカ人医師ヘボンのもとで西洋医学を学び、キリスト教の影響を強く受けた。明治4年(1871)、廃藩置県後、東京麹町で医院を開業。その後、明治9年(1876)彦根に帰り開業すると、キリスト教の布教をはじめ、3年後彦根キリスト教会を創立した。「山の湯」創業者の三谷岩吉はこのとき、宗達から「熱海の温泉を分析した技術」の提供を受けている。
 
 僕らは中学の頃、夜の8時頃から自転車で集まって銭湯巡りをしたことがあった。来ている人の雰囲気も違えば、飲み物が置いてある銭湯もあれば、映画のポスターを貼っているところもあった。
 勿論、「山の湯」へも行った。入口の立派な破風に、件の薬湯もあり、「彦根で最も高級な銭湯」のように思えた。薬湯は浴槽の底が見えず、入るのを躊躇するほど濃い色をしていた。何も知らないものだから、湯につけたタオルが茶色に変色したのには驚いた。そして、そのままで普通の浴槽につかったのだから、怒られても仕方がない。
 銭湯巡りはひと夏限りのことで、いつの間にか皆とは行かなくなった。
 街には新しい時間が流れ歴史が未来につながっていく。僕は薬湯にタオルをつけて怒られた。それは中島宗達につながっている。あの夏は実に忘れがたい。銭湯で知り合った大学生と話すようになり、天体や気象、歴史の知識が僕の裡に積もっていったのだ。

雲行

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