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半月舎だより 30

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 2019年5月6日更新

かえる先生のお引っ越し

 帳場に座ったひとだけが見える場所に、一枚の写真が貼ってある。かえる先生こと細馬宏通さんとわたしが写っていて、古本市で絵はがきなどの箱をふたり並んで漁っている。「こんな写真見ながら働いているんですか」と、たいていのひとに苦笑いされる写真だが、わたしとしてはそんなに深い意味はない。パソコンを開いたり、古本を積み上げて作業していると見えなくなるので普段はそこにあることも忘れるし、何気なく貼って何年も経っている類のものである。
 かえる先生に出会ったのはわたしが18歳のとき、大学に入学してすぐの、実習の授業だった。彦根の古い観光絵はがきのなかの風景が現在はどこにあたるのか探すという実習で、このフィールドワークに参加したことは、わたしの彦根に対する見方を決定づけた。当時の生活圏からは少し離れていたが、古いものの痕跡があちこちに残る彦根の旧城下町まで自転車で赴き、おもしろがって散歩したりするようになった。素朴に「彦根はおもしろいまちだなあ」と思い、わたしなりにまちの歴史について調べたりもした。そうした過程で、その後もお付き合いさせていただくことになるようなひと達に出会った。よそものでありながら、学校を出た後も彦根に住みつき、古本屋までするようになったのは、まちへの興味を先生が開いてくれたからだった。
 大学生活も後半となり、3回生になったわたしは、かえる先生の研究室で卒業研究をし、勉強ぎらいで身の丈に合わないことは承知の上で、そのまま大学院にも進学した。就職に際してもお世話になったし、古本屋を開いてからも、店で講座を開いてもらったり、作家の対談相手となってもらったり、ミュージシャンでもある先生のライブを企画させてもらったりと、かれこれ14年ほど、付かず離れず、ずっとお世話になってきた。
 さて、開学当時からずっと滋賀県立大学に在籍しておられたかえる先生だが、東京の大学からお誘いがかかり、この春、彦根を離れられた。引っ越しにあたって問題となったのは蔵書の整理だった。講義などの通常業務に加えて研究、執筆、トークイベントなどの仕事で多忙を極めるなか、先生は膨大な蔵書を整理しなくてはならなかった。学校の図書館に返す本、新居へ運ぶ本、移籍先の大学の研究室に運び込む本、スペース上持っていけないけれど取っておきたい本、処分する本と分けていくという、まさに気の遠くなるような作業だった。
 初めてかえる先生の研究室に足を踏み入れたのも18歳の春だったが、本を中心に、音楽や映像メディアなど部屋中を埋め尽くす物の多さ、研究以外に頓着の薄そうなようすを感じる書類やよくわからない物の渦に、圧倒されたものだった。それらを全部この部屋から出してきれいに引っ越すなんてこと、現実に可能なのか…と、訝しんでもはじまらない。先生からの依頼を受け、昨年末から4月にかけてときどき研究室へ行き、本の整理のお手伝いをした。本をみかん箱に詰めたり、タイトルだけを頼りに本を探したりと、曲がりなりにも古本屋をしてきた経験が少々生かされた感もあり、「古本屋をやってきたことが役に立ってよかったなあ」と思ったりした。
 4月初旬、ついに訪れた引っ越し当日、昼から夕方にかけておとな4人で働き、作業はついに終わりが見えてきた。ほとんど何もなくなった研究室で、最後に残されていたギターをおもむろに手に取ったかえる先生は、ぽろーんと鳴らし、「にゃ〜」と歌った。思わいがけない響きの良さに、びっくりした。そして「このギターは取っておこう」と、先生は半月舎にギターを置いて行ってしまった。
 「先生がいなくなって寂しいでしょう」と言われるが、案外そうでもない。東京に縁もゆかりもないわたしだが、かえる先生がいると思えば足を向ける理由にもなる。
 今年の正月、先生の新居あたりを江戸時代の古地図で探すという遊びをした。新居近くに今でもある神社の名まえを古地図に発見し、先生に「よくわかったなー」と感心してもらった。先生が置いていったギターを背負って、あの地図のまちへ行ってみたいなと思っている。

M

編集部

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