ソラミミ堂

淡海宇宙誌 XXXIV いただきますというゴール

このエントリーをはてなブックマークに追加 2013年4月8日更新

イラスト 上田三佳

 先日、田舎の観光についての会議に招かれました。とりわけ新たな「食」の特産物をどう創るかという話。
 豊かな自然と深い歴史と文化があって、食べ物だって素晴らしいものがたんとある。
 「あれがある」「これもある」「こんなのもありますナ」「そんならこれも」と数え上げたら、テーブルの上はもういっぱい。
 そんな様子を見ていたら、「このテーブルには食べ物はたくさんあるが、食事がないな。そこが工夫のしどころだな」とひとり合点がいきました。
 食べ物だけを見るのではなく、その食べ物につらなるさまざまな事を見つめる。「モノ」という結果ではなく、「モノ」にまつわる道行き(プロセス)だとか時とか場とかをどうしてみんなで味わうか。それが大事と心得ました。
 「食事」といえば今では家庭や食堂の食卓周りで「いただきます」から始まるように思うけれども、それはもう「食事」のゴール付近です。
 「食事」というのは食卓ではない別のところの、「いただきます」のもっと前から「ごちそうさま」のさらにあとまでつながっている。
 そういうことが田舎に行くと、あるいはかつての暮らしを聞くとよくわかる。
 我が家の前を流れる小川で魚をつかみ、野山に出かけて春の菜を摘み、田畑で米や野菜を育てるという、身近なスタート地点から始まるひとつらなりがまさに「食事」でありました。
 いざなって里山で人をもてなす「客山」や田舟で繰り出し「ジュンジュン」をする「舟行」なんて、素敵な「食事」だったなあ。そこにある景色も時間も「食事」につらなる田舎の特産なんだなあ。
 「食べ物」の数や豪華さを誇るより、「食事」の豊かさ楽しさをこそ大事にしたいと思います。

 

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